内容説明
「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで皆往生できる―。法然が深甚な智慧と膨大な行の大系の中から選び取った一行は、不条理や不安が生み出す絶望から人々を自由にする唯一の言葉であった。熾烈な弾圧を受けながらも、法然はどのようにして新しい救済の道を見いだすに至ったのか。主著『選択本願念仏集』をテキストとしながら、その信念と現代的意義を丁寧に読み解く。人類社会にとって、宗教の果たす役割とは何かを考える絶好の書。
目次
序章 中世という時代と法然の出現(輪廻という物語;神は仏の一部 ほか)
第1章 新仏教「浄土宗」の樹立(法然の選択;道綽の決断 ほか)
第2章 新しい救済原理と方法(「正行」と「雑行」;「開合」「翻対」「相対」 ほか)
第3章 どのように「信じる」のか(「三心」;「信心」成立のための二つの過程 ほか)
第4章 「諸行」論(なんのために「諸行」が説かれているのか;念仏を証明する仏たち ほか)
終章 ひとえに善導による(念仏弾圧のなかで;ふたたび「選択」について ほか)
著者等紹介
阿満利麿[アマトシマロ]
1939年京都市生まれ。京都大学教育学部卒。明治学院大学名誉教授。専攻は日本宗教思想史。主著に『宗教の深層』(サントリー学芸賞受賞、ちくま学芸文庫)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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本のロマンス
13
法然上人が、わてらのような凡人もみなお救いなさろうと、古代インドの経典や中国の仏典を読み解かれ、「生涯悪を造るのみの人間であっても、常に浄土を思って専ら念仏すれば、一切の障りは自然に消滅し、浄土に往生できることはまちがいがない」との教えを、お導きになりはられました。ありがとうすのう。 2024/09/21
moonanddai
8
久しぶりでの法然上人。これまでもいくつか読んだことはあるのですが、そのたび「心に残る」というか「気にかかる」言葉があったりします。今回は「凡夫」。すなわち、「仏教の真理をできない愚か者」のことですが、法然上人の苦悩はこの凡夫が救われる道はないのか、「煩悩」に縛られ、「廃悪修繕」のための実践ができない者は成仏はできないのか、その一点から始まります。上人はそれらが救われる道を示してくれたのですが、その教えを受け止める我々も、自分が「凡夫」に他ならないことを心に留めておかなければならないと、改めて感じました。2024/10/28
かに
6
宗教とは、有限な自己が無限の存在に自己を託そうとする営み。「私共は神仏が存在するが故に信ずるのではない。私共が神仏を信ずるが故に、私共に対して神仏が存在するのである」 従来の仏教は煩悩からの解放が目的であったが、善導や法然の浄土教では、煩悩のただなかにあって、凡夫のまま救われる道がある。 「定散」(瞑想や道徳的実践、仏教が教える徳目の実行)は「随他意」(聞き手の能力や状況に応じて教えを説くこと)の説法であり、「念仏」は「随自意」(聞き手の状況にかかわらず自己の考えるがままに説くこと)による説法である。2023/03/08
おせきはん
6
諸行をできない煩悩に縛られた凡夫も本願念仏することにより往生できるとして、庶民のための新しい仏教を創設した法然の考えが、当時いかに斬新であったかがわかりました。2018/02/04
maqiso
4
中世には浄土への願いが一般的になったが、当時の修行や戒律は武士や庶民には縁がなかった。法然は道綽・善導の浄土門を発展させ浄土宗を開いた。自らが仏から遠く能力もない凡夫であることを認識し、そこからの救済を求めて阿弥陀仏の本願にすがることで救われるとした。経典には多くの修行があるが、だれもが容易にできる念仏を阿弥陀仏が選択し、往生のためには念仏のみを行うように主張した。既成の仏教を否定する内容だったため激しい非難と弾圧を受けた。2022/01/01