出版社内容情報
「アイヌの啄木」と呼ばれた歌人の心の叫び。
内容説明
「アイヌと云ふ新しくよい概念を内地の人に与へたく思ふ」先住民族アイヌが公然と「亡びゆく民族」の烙印を押され、本来は「誇り高き人間」「立派な人」という意味を持つ「アイヌ」という言葉が侮蔑の響きをもって使われていた大正時代から昭和のはじめ。アイヌ民族復興のために立ち上がりその生涯を捧げ、病のため27歳で早世した歌人がいた。文庫ではじめて違星北斗の短歌、俳句、詩、童話、散文、ノートの記録を集める決定版。
目次
短歌
日記
俳句
詩
童話・昔話
散文・ノート
手紙
コタン創刊号
著者等紹介
違星北斗[イボシホクト]
1901年12月31日、北海道余市町生まれ(戸籍上は02年1月1日生まれ)。尋常小学校を卒業した後、家業の漁業に従事。21歳ごろから俳句をはじめ、25年、東京府市場協会の事務員として勤務。このころより短歌をはじめる。26年北海道に戻り、アイヌ同胞との対話や創作・執筆などの活動を通してアイヌ民族復興に生涯を捧げた。29年1月26日没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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tosca
31
題名は歌集とあるが、冒頭の金田一京助の「違星青年」という追悼文のようなものから始まり、短歌や俳句、日記や手紙など彼の生涯を追える。明治後期に生まれ幼少期はアイヌというだけで絶え間ない差別や虐めに苦しむ。小学校卒業後は漁業や人夫をするが病気になり思想や俳句に興味を持つようになり恩師や良い人との出会いに恵まれ上京して東京市場協会の事務職員となる。金田一京助と出会い生涯親交を持ち敬愛する。東京では差別に苦しむ事無く友情にも経済的にも恵まれ、多くの人々に愛され学者や文化人と交流を持つ→彼の凄いのはここから→2024/02/04
paluko
9
「めっきりと寒くなってもシャツはない薄着の俺は又も風邪ひく」「砂糖湯を呑んで不図思ふ東京の美好野[みよしの]のあの汁粉と粟餅」「死ね死ねと云はるるまで生きる人あるに生きよと云はれる俺は悲しい」俳句もあり「寒月やとんがった氷柱きっらきら」「新聞の広告も読む夜長かな」「枯れ葉みな抱かれんとて地へ還る」。191頁「アイヌは常に無駄な物は製作しない。従って無意味に落書はしない。とにかくイタズラをしない民族である」というのは初めて聞いて、驚く。お面や人形を作らないのはもちろん、穴を掘ることすら怖れられている、とは!2023/10/02
必殺!パート仕事人
1
昭和3年発表の童話の中にクマが少なくなったとある。実際ひところより少なくなったのだろうけれど、市街地にまで出没し人間を恐れなくなったクマを著者はどう思うだろう。 この本の4分の1を占める山科清春氏の解説が重要だ。東京の出版社の編集により作者の思想の変遷がわかりにくになり、誤りもあると。何より、送った原稿が戻ってこないとは! 年譜に山中峯太郎、阿部忍の名前が出てくる。2021/08/05