内容説明
19世紀末のパリ。兵役が明け、アルジェリアから帰還したジョルジュ・デュロワは、鉄道会社に職を得るも、安月給で日々の生活に窮していた。そんなある日、街で偶然再会した戦友フォレスチエの紹介で、彼は新聞記者への足掛かりを掴む。生来の美貌を武器に、上流社会の夫人たちを次々に虜にしていくデュロワ。彼を愛する女たちを利用して巧みに富と名声を獲得しながら、デュロワは権力の頂点を目指し策略を巡らせる―。
著者等紹介
モーパッサン,ギー・ド[モーパッサン,ギード][Maupassant,Guy de]
1850‐1893。フランスの自然主義の作家、詩人。フローベールに師事し、1880年に普仏戦争を扱った短編「脂肪のかたまり」で作家としての地位を確立。『女の一生』『ピエールとジャン』ほかの長編6作と300を超える短編を残した
中村佳子[ナカムラヨシコ]
1967年広島県生まれ。広島大学卒。翻訳者(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ケイ
153
19世紀のエンタメという印象。風刺や皮肉まじりに、若く美しい貧しい男がのし上がっていく様が描かれている。やもすれば、その日の食事にもこと欠き、うだつの上がらないままに終わったかもしれないのに。偶然の出会いが彼をシンデレラボーイとしていく。シンデレラと違うのは、彼はもっといい馬車をあちこちに探すこと。彼は非道なの?人を蹴落とす悪人ではない。小細工も決して上手くない。女の心をつかみのには長けているのに、女の心の痛みは自分のものとはできない男。ベラミはそしてどうなったのか。現代なら続・ベラミが出ていそうだ。2017/05/03
まふ
112
初読。田舎の飲み屋の息子ジョルジュ・デユロアがパリで新聞記者になり美貌と要領の良さ、計略を縦横に発揮して上流社会の夫人たちを恋に陥れ、ついには新聞社のオーナーの超美人の娘との結婚に至らしめ頂点に達するというピカレスク的小説。「自然主義文学の典型」とのこと。貴婦人たちが会うとたちまち恋してしまうほどの美貌とはどんなものなのか。新聞社の社長に成り上がり、さらに代議士となり大臣、首相を目指すという。読後感としては「まあ勝手にやらせておけ」というところであった。G1000。2023/07/04
NAO
74
自分の出世のために、何人もの女性たちを踏み台にしていったデュロワ。この話はデュロワが絶頂まで上り詰めたところで終わっているが、マドレーヌを失ったあと、デュロワの幸運がいつまで続くのかは分からない。デュロワに負けないぐらい自己顕示欲が強く野心家のマドレーヌからの報復だってありそうだ。後日譚を読みたいものだ。2018/10/16
みっぴー
50
出世のために女を利用し、用がすめばばっさり。けしからんやつ、という感情論はひとまず置いといて、、、主人公のジョルジュは、論理的な男です。出世というゲームに勝つため、何が必要で何が不要かをしっかり心得ています。彼の方程式では、『女は駒』。姑が『嫁はいびるもの』と考えているのと何の変わりもない。男性としてみるなら最低だけど、出世レースに挑むプレイヤーとみるなら、彼は超一流。彼の行動や思考には哲学がある。などと深読みしてみましたが、普通のエンタメ小説として読んでも十分楽しめます。2018/04/09
藤月はな(灯れ松明の火)
47
べラミとは「麗しの君」という意味。貧しい生まれのジョルジュは美貌と運を活かし、女を籠絡し、権力の頂点を目指す。才能はないが冷酷且つエゴイスティックでありながらトントン拍子に出世街道を進むジョルジュの姿は繊細な心と共存する野心を才覚と美貌によって確立しながらも破滅する『赤と黒』のジュリアン・ソレルとは対の存在である。また、フォレスチエの「メメント・モリ」と生への執着を表す死の描写は、『ボヴァリー夫人』での自死を徹底的に突き放して無残な事実を描く死の描き方と相反しながらも重なる部分がある。2013/12/08