出版社内容情報
1945年の敗戦とともに満州(現、中国東北部)から日本まで、3人の子をかかえて引き揚げた、著者の魂の記録。
内容説明
一九四五年、終戦。そのときを満州(現中国東北部)でむかえた著者は、三人の子をかかえ、日本までのはるかな道のりを歩みだす。かつて百万人が体験した満州引き揚げをひとりの女性の目からえがいた戦後の大ベストセラー。新装版にて待望の復刊!中学以上向き。
目次
涙の丘(駅までの四キロ;わかれ ほか)
教会のある町(丘の下へ;墓場からきた男 ほか)
三十八度線をめざして(親書の秘密;赤土のどろの中をもがく ほか)
魔王の声(うらみをこめた小石;議政府に到着 ほか)
著者等紹介
藤原てい[フジワラテイ]
1918年、長野県に生まれる。県立諏訪高等女学校卒業後、中央気象台勤務の藤原寛人(新田次郎)氏と結婚、夫とともに満州に渡る。1946年、帰国(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ちゃんみー
50
なんか凄いの読んじゃったな。中国(満州?)で終戦してから日本に帰れるまで一年以上もかかったんですね。乳飲み子をおぶり、まだ小さな上二人を叱り飛ばしながら歩き続けたシーンには泣けてきたよ。周りの人に助けられながら、または罵倒されながら生き抜いた人たちがいたことを多くの人(特にチャラチャラした若者)に知ってもらいたい。こんな過酷だったとは私も知らなかった。そしてやはり母は強し。2018/12/05
クロネコバス
33
満州引き揚げの私小説の中で一番広く知られている本書。幼子を3人連れての満州脱出記録。夫はソ連兵に連れて行かれ、子供は極度の栄養失調の上、病気にかかる、持ち金も底をつく。極め付けは徒歩と牛車での北緯38度線越え。日本人同士でも自分が生き延びる為ならなりふり構わず。また、そうでなければ生き抜けない。疑心暗鬼。幾度奇跡的に命がつながったか。私の祖父母は幸運にも早い時期に引き揚げ船に乗れて、父の上腕には腕時計が隠されていたと聞くと、私の存在も奇跡だと思う。著者の夫が若い頃によく読んでいた新田次郎氏とは!2022/11/06
かいゆう
32
満州引き揚げは3冊目。1945年8月9日。それまでの豊かで平穏な暮らしが一変する。夫と離れ、6歳と3歳の息子と生後1ヶ月の乳飲み子を連れてひたすら逃げる道のりは、想像に絶する。北緯38度線をなかなか越えられず、日本の地を踏むまでに一年以上もかかり、子どもたちも本当によく耐えたと思う。たくさんでは無いけれどお金を持っていて汽車や牛車に乗る事ができた事、途中足止めをくらっても身を置く場所があった事が、以前読んだ2冊と違うところ。中国人やソ連軍に襲われるような場面もなかったので、印象が随分違う。2016/01/14
Nobuko Hashimoto
27
元同僚先生のおすすめ。見比べず買ったこのバージョンは児童向けに編集されたものだった。それでも満州からの引き揚げの壮絶さはこれでもかというくらい書かれているので、1949年の初版と読み比べようかなと思ったが、とりあえずこの作品を分析した末益智広氏の論文を2本読んでみた。すると、この作品は版によって手が加えられたり削られたりしているとのこと。そして、初版から大ヒットし引揚げ文学の代表格になるが、家族愛ばかりに焦点が当たっていったという分析がされていた。余力があれば、そのうち1949年版も読んでみよう。つづく2024/09/15
ひほ
27
壮絶過ぎて何も言うことができない。2020/10/15
-
- 和書
- 愛について - 詩集