内容説明
現代の“生き仏”と称される酒井雄哉・大阿闍梨の慈雨の言葉。なぜ生きるのか。どう生きるべきか。苦しみや死をどう受け止めたら良いのか。人生に迷い悩むすべての人に。
目次
第1章 一日一生(一日が一生、と思って生きる;身の丈に合ったことを毎日くるくる繰り返す ほか)
第2章 道(生き残ったのは、生き「残された」ということ;長い長い引き揚げの旅が教えてくれたこと ほか)
第3章 行(衣を染める朝露も、いつしか琵琶湖にそそぐ;歩くことが、きっと何かを教えてくれる ほか)
第4章 命(ほっこり温かな祖父母のぬくもり;大きな父の背中におぶわれた冬の日 ほか)
第5章 調和(桜は、精いっぱい咲いている;人は自然の中で生き、生かされている ほか)
著者等紹介
酒井雄哉[サカイユウサイ]
比叡山飯室谷不動堂長寿院住職。1926年、大阪府生まれ。太平洋戦争時、予科線へ志願し特攻隊基地・鹿屋で終戦。戦後職を転々とするがうまくいかず、縁あって小寺文頴師に師事し、40歳で得度。約7年かけて約4万キロを歩くなどの荒行「千日回峰行」を80年、87年の2度満行。その後も国内や世界各地を巡礼している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
鉄之助
381
一日に30~84キロも歩き通す「千日回峰行」を2度、成し遂げた酒井大阿闍梨。比叡山にこの修行の記録が残っている400年間に、たった3人の偉業だという。地球2周分、8万キロも踏破したことになるが、「なぜ2度も?」の答えは「ほかに何もすることがなかったから」。まさに「一日一生」のつもりで、毎日を過ごしているうちに「修行が終わっちゃった」という。「ずっと幸せ、なんてないし、ずっと不幸ということもない」。私を含め、いま、なんとなく元気が出ない人に最適の本だ。2023/07/03
はっせー
156
タイトルの通り一日一生だと思って生きるのは大変である。しかし、考え方によっては、できるかもしれないと思った。一日一生だと思えば、今日の自分と明日の自分は違う。生まれ変わっているから昨日出来なかったことも今日できるかもしれない。そうやって生きてみる。この本を読んでみて、平野啓一郎さん『私とは何か』の中の分人主義を思い出した。自分の中に色んな分人がいて、その集合体がいまの自分。生まれ変わった今日と昨日までの自分全部合わせていまの自分である。一日一生とは、自分のバリエーションを増やすことなのかなと思った!2021/09/26
nico🐬波待ち中
131
読友さんに勧められた通り読んで良かった。読んでいると凝りがほぐれて、気持ちがふんわり軽くなる。決して上から目線の言葉ではなく、そっと読み手の隣に降りてきて、穏やかに親しみを込めて語って下さるので、このままずっと聴いていたくなる。難しい言葉は遣わず、誰もが分かる言葉で。「今自分がやっていることを一生懸命、忠実にやることが一番いいんじゃないのかな」寝る前の一時、ゆったりとした気持ちで読むのがいいみたい。「今日のできごとは今日でおしまい」呪文のように唱えながら。本の厚さはそんなにないのに、内容はとても濃い。2019/09/28
yoshida
125
読者に寄り添ってくれるような語り口。一日を丁寧に精一杯生きる。頭では分かっていても、どれくらい実践出来るだろうか。それを考えながら生きることも、人生の修行なのかも知れない。不思議な人生の綾。回り道をしても無駄なことはない。いつかは役に立つ経験となるはず。親と子の愛情。夫婦の絆。ゆったりと静かに考えさせられる作品でした。明日も新しい気持ちで、一日を大切に生きて行こうと思います。2020/01/23
hatayan
109
比叡山の千日回峰行を達成した大阿闍梨が、鬱屈していた青年期を振り返りながら難行を志して得たことを平易な言葉で振り返る一冊。命が残されていることはまだやることがあるから。今日一日歩いた草鞋を脱ぎ、明日は新しい草鞋を履く。今日の自分は明日の自分ではない。だから一日が一生と考えて毎日を積み重ねる。歩くことで土地と触れて大地の力をいただくことができる。争いになったときは根本的な原点は何か探して折り合いをつける姿勢が大切。 大阿闍梨の半生を記した長尾三郎『生き仏になった落ちこぼれ』を合わせて読むと理解が深まります。2020/06/29
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