内容説明
象潟の蚶満寺に、『街道をゆく』としてはめずらしく戦友を訪ねるところから「秋田県散歩」の旅は始まる。菅江真澄、狩野亨吉、内藤湖南など、清明無私で著者好みの先人を追う足は、南部との藩境近くまで伸びた。「飛騨の匠」の伝統、戦国期の支配者・金森氏の洗練、鉱山を背景にした富裕の跡を訪ねる「飛騨紀行」。下界と隔絶した感のある高原の国ゆえに残る「品のよさ」を再確認する。
目次
秋田県散歩(東北の一印象;象潟へ;占守島;合歓の花;一茶;覚林;植民地?;菅絵真澄のこと;旧奈良家住宅;寒風山の下;海辺の森;鹿角へ;狩野亨吉;昌益と亨吉;ふるさとの家;湖南の家;蒼龍窟)
飛騨紀行(飛騨のたくみ;飛騨境橋;春慶塗;左甚五郎;山頂の本丸;三人の人物;国府の赤かぶ;古都・飛騨古川;金銀のわく話;飛騨礼讃)
著者等紹介
司馬遼太郎[シバリョウタロウ]
1923年、大阪府生まれ。大阪外事専門学校(現・大阪大学外国語学部)蒙古科卒業。60年、『梟の城』で直木賞受賞。75年、芸術院恩賜賞受賞。93年、文化勲章受章。96年、死去。主な作品に『国盗り物語』(菊池寛賞)、『世に棲む日日』(吉川英治文学賞)、『ひとびとの跫音』(読売文学賞)、『韃靼疾風録』(大佛次郎賞)などがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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molysk
64
おだやかに歴史が流れてきたくに。稲穂が実る豊かな土地に、北前船がもたらす進んだ文化が育んだ秋田のまちでは、自らの栄達など歯牙にもかけずに万人に尽くした先人たちがいた。例を挙げれば、江戸期の旅行家、菅江真澄。明治の知識人、狩野亨吉や内藤湖南。現在も残る旧家に、先達の足跡がしのばれる。匠の伝統を受け継ぐ、飛騨のまち。広さに恵まれぬ耕地ゆえに、律令制では税を免じられる代わりに中央の建築を命じられた。江戸期は茶人でもある金森氏のもとで文化を洗練させた。司馬は旅した途上で見かけた家々にも、伝統が感ぜられると記す。2023/08/20
kawa
41
今月のマイ街道旅は秋田と飛騨。前者は人に魅了。狩野亨吉(大館・教育者)、安藤昌益(大館・思想家)、内藤湖南(鹿角・歴史学者)、菅原真澄(秋田・旅行家)、栗田定乃丞(秋田佐竹藩役人・防風林建設)。後者は、古川町と司馬先生はあまり興味を示さないグルメ、高山の料亭「洲さき」をテイクノ-トだな。飛騨の繁栄を支えた銀鉱山のある茂住、我が町から富山に行く街道沿いで何度も通過している。今はそんな面影がしのばれない地となっているが、機会があれば車を止めて盛時の姿を想像してみるとしよう。2021/03/30
燃えつきた棒
37
当初、「秋田県散歩」だけ読むつもりだったが、なんとか「飛騨紀行」も読むことができた。 秋田は、母の実家である。 子供の頃、母に連れられ何度も帰省して、本荘市や羽後岩谷の親戚の家に泊めてもらった。 その頃の記憶で一番強く残っているのは、どこか懐かしい秋田弁のくぐもったひびきと、太宰治『津軽』の歓待シーンを彷彿とさせる、あたたかいもてなしの印象だ。/2022/08/07
kawa
36
週末の秋田行きの予習で関係分を再読。人に魅了の巻で東北の文化度の高さが印象的。京大の学の礎と言われ漱石の友人でもあった狩野亨吉氏(大館・教育者)。その彼が発見した江戸時代に無階級主義を唱えた安藤昌益氏(大館・思想家)。狩野が安藤を同郷と気付いていなかったこともご愛敬。その他、内藤湖南氏(鹿角・歴史学者)、菅江真澄氏(旅行家)、栗田定乃丞氏(佐竹藩役人・防風林建設)。我が郷土にも3年ほど滞在していたという菅江氏、秋田県博物館に資料がまとまっている様で訪問リストへ、旅行準備としてはグッドな選書と自画自賛。2024/06/25
白パラガス
33
〈飛騨の高山を、小京都という。(中略)ある町角では、ふと京都よりも京都ではないかとおもったりする。〉毎回、旅の目的地に着く前に予習として『街道をゆく』シリーズを読むようにしているが、実はあまり理解はできていない。現地に着いて、辺りを見てまわって、改めて読み返して、初めて内容が理解できる。〈ともかくも古川町の町並には、みごとなほど、気品と古格がある。〉本書を読んでいなければ、飛騨古川に訪れようとは思わなかっただろう。立ち寄った「飛騨の匠文化館」はとてもよかった。本と一緒なら、一人旅もひとりではなくなる。2020/04/04