内容説明
東北の南部人を考える「陸奥のみち」を満喫したあと、南に針路を転じ、「肥薩のみち」を歩いた。「われわれは田原坂に来てしまったのである」とつぶやく著者は、ちょうど大作の『翔ぶが如く』を連載中だった。「薩摩」の人間風土は書くのは大変なんですよと、正直に読者に悩みを打ち明けてもいる。
目次
陸奥のみち(奥州について;陸中の海;華麗のなぞ ほか)
肥薩のみち(阿蘇と桜島;田原坂;八代の夕映え ほか)
河内みち(若江村付近;平石峠;香華の山 ほか)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
molysk
80
二つのくにをつなぐみちをゆく。陸奥のみち。八戸は奥州を治めた南部氏のまちだったが、戊辰戦争で新政府と敵対したためか、おなじ南部氏の盛岡藩と分かれて青森県に編入される。八戸藩と津軽藩は成立の経緯から反目があり、現在も両藩の境には塚が残る。肥薩のみち。古代の隼人のくにから江戸期の島津家まで、薩摩の地は中央から独立の気概が強かった。中央は肥後の国を拠点として対抗した。最大のものは西南戦争であろう。熊本城の北、田原坂で官軍は薩軍を打ち払い、戦局は反転する。西南戦争の終結をもって薩摩は中央からの独立を失ったとする。2023/08/28
さつき
65
陸奥のみち、肥薩のみち、河内みちの三編。この巻の舞台はどこもあまり馴染みはないけれど、いつか行きたいと思う場所ばかりで、楽しく読みました。三巻目だけあって、司馬さんも執筆当時四十代!後半の巻に比べるとけっこう歩いてますね。南部藩で牧畜が行われていたら、の想像。西南戦争関連。西行の墓。などが特に印象に残りました。2017/11/26
Book & Travel
49
月一冊ペースで読んでいる街道シリーズ。肥薩、陸奥というタイトルに、夏のローカル線の旅がイメージされて旅情をそそられ、本書を手に取った。もちろんこのシリーズは鉄道紀行ではなく、深い歴史思索紀行である。「肥薩のみち」では中央から掣肘されない肥後と薩摩の気風が面白い。丁度「翔ぶが如く」執筆中の旅で薩摩についての話も多いが、ヤマトタケルと戦った熊襲梟帥の伝説、独立気風が強く勢力が濫立した戦国期、その熊本を良く治めた加藤・細川氏など、豊かな国ながらあまり歴史の表舞台に出てこない肥後熊本の話がなかなか興味深かった。2017/07/21
koji
33
街道をゆく3は、一見脈絡がないように見える陸奥、肥薩、河内の3街道紀行。しかし、日本人の怨念・執拗さ・権力への畏怖という精神風土の共通項を有します。陸奥・南部藩は、津軽を恨み悪み相馬大作のような過激人を、その反面知性としての安藤昌益、4人の宰相を生みました。薩摩・島津は、念仏停止として苛烈な(コミューン的で国の乗っ取りにもつながると怖れた)一向考弾圧を徹底して行いました。河内・大ヶ塚(富田林辺り)は楠木正成の前哨地、根来襲来の砦として造られた(近代まで続いた)環濠集落的な自衛の村。日本の怖ろしさを感じます2025/02/27
さきん
32
前半は津軽、南部の険悪さの話、後半は熊本と薩摩の性質の違い。確かに今の鹿児島県には、薩摩人だなという佇まいを残している人は見ない。西南戦争後に中央政府の力が遂に薩摩に到達したことが大きいようだ。富商、土豪の層が少なかったために気風も保存されなかったとする著者の観察も鋭い。2018/01/18