内容説明
「管理職にしては惜しいと考えられた大記者」疋田桂一郎。鋭い批評眼からの的確な洞察で知られる彼は、どのような記事を書き、どのようなコラムを残し、そして、新聞報道についてどのように考えたのか。洞爺丸台風(1954年)、伊勢湾台風(1959年)、三池争議(1960年)など、戦後史上の大事件についての報道記事。ソ連、韓国、ベトナム、アメリカなどを取材対象にしたルポ。さらには、当時の社会に大きな衝撃を与えた、東大生山岳遭難検証記事。疋田記者による、朝日新聞の、これらのさまざまな記事を収録し、当時の新聞報道の実際と息吹とを再現する。さらに、70年代に執筆を担当した「天声人語」からの選りすぐり44編を収めるとともに、新聞取材と報道の本質を徹底的に追究して、ジャーナリズムの世界に大きな影響を与えた「ある事件記事の間違い」を全文収録する。
目次
第1章 一九五〇年代~六〇年代―個人として、チームとして(空から見た遭難現場―洞爺丸台風;つのる“越冬断念”の不安―南極観測;“黒い津波”の跡を歩いて―伊勢湾台風 ほか)
第2章 一九七〇年代―「天声人語」筆者として(1970年;1971年;1972年 ほか)
第3章 一九七〇年代後半~八〇年代―新聞のあり方を問う(ある事件記事の間違い;一九八〇年度日本記者クラブ賞「わたしの言い分」受賞の言葉;取材ということ ほか)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ゆき
4
1951-87年、朝日新聞記者、そのうち3年間は天声人語を担当。疋田氏の書いた記事は、はぁすごいなぁと感嘆してしまう。「戦後」や昭和の歴史的イベント、あるいは人類の文明の発達過程を感じさせるものと、今も昔も変わらない人間の心や自然のこと。この2つのコントラストもいい。新聞記者の仕事は取材と執筆。そこにかける並大抵ではない努力と情熱も、かっこいい。私も、そんな仕事がしたいと思った。2023/10/31
Ted
2
'07年11月刊。△「記者は己の記事と鉛筆だけ残せばそれでよい」という美学を貫いたため纏った著書がない。疋田を師と仰ぐ本多勝一が多くの著書を出しているのとは対照的だ。警察発表タレ流しの思考停止、等閑にされる追跡取材、不確実のまま書いてしまう危うさ等、彼が提起した新聞の問題点は今も改まっていない。表層的なスクープ合戦で記事の精度を蔑ろにし、広告主に阿って書くべきことを書かず、高給ばかり食んでいては、新聞は益々詰らなくなり、読者は離れ、存在意義すら無くなるだろう。ブンヤなど車夫馬丁の類という原点に回帰すべし。2013/08/24
takao
1
ふむ2024/10/10
iida
0
記者としての真髄を見た。 末端の現場官僚のディレンマを取材していくべき、長だけでなくて。2014/03/29
吉倉槇一
0
その仕事が戦後の朝日新聞のスタイルを決定したと言われ、若き本多勝一に大きな影響を与えた伝説の記者のアンソロジー。2007年刊。誠実で勤勉、正確無比の記事、数々の独創的な切口と発想を提示した疋田は「理想の新聞記者」と呼ばれた。一記者として文章よりも取材を重視し、公正な「真水のような文章」をモットーとした彼は、他方新聞の役割と責任について絶えず思いを巡らせた。まことに朝日新聞的な意味で良識で節度ある疋田のスタイルは、今日むしろ悪しき「標準型」に堕した感があるが、そうした彼の亜流と比較して読んでも興味深い一冊。2012/12/30
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