内容説明
一人のホームレスとの出会いが神父の生き方を変えた。人を根底から変え、解放と救いをもたらす力は最も社会的に低くされた者の中にあり、神の選びは貧しく打ち捨てられた者の側にこそある。釜ケ崎の労働者たちの感性に学び、その願いに連帯し、ともに働く道を探った二十年の歳月を語り、聖書を読みなおす。実体験により育まれた、独自の福音理解にもとづく力強い聖書の思想がここにある。
目次
1 ある出会い(痛みを知る人たちこそ;愛するよりも大切にすることを ほか)
2 宗教を超えて福音を―聖書講義(貧しく小さくされた者の選び;イエスとはだれか)
3 いま、信頼してあゆみ始めるために(真の平和、ほんとうの和解を求めて;社会活動の霊性(スピリチュアリティ))
人権と共に人間の尊厳を大切に―むすびに代えて
著者等紹介
本田哲郎[ホンダテツロウ]
1942年生まれ。65年、上智大学を卒業し、フランシスコ会に入会。71年、司祭叙階。72年上智大学神学部修士課程修了。78年、ローマ教皇庁立聖書研究所卒業。89年より大阪釜ケ崎にて日雇い労働者に学びつつ聖書を読み直し、「釜ケ崎反失業連絡会」などの活動にも取り組む(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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trazom
101
釜ヶ崎で、路傍の労働者たちと連帯して暮らす本田神父の言葉に真実がある。カトリックの司祭でありながら「教会は建前ばかりを教える」「神父が語る説教は能書きに過ぎない」。そして「相手の立場に立てると思うな」「憐れまれる側の辛さ。大切なのは憐れみではなく、痛みの共感(コンパッション)」「「へりくだり」の差別性。英雄気取りの発想は傲慢以外の何物でもない」「社会問題を個人の資質の問題にすり替えるな」という境地に到達する。小ささや貧しさに苛まれた者としてイエスを捉える聖書解釈も独特。自分の傲慢さを思い知る一冊である。2024/05/26
kawa
28
「貧しく小さくされている人たちを通して神がはたらかれることを信じて、その人たちの痛み、苦しみ、さびしさ、悔しさ怒りを共感、共有しながら、その人たちと連帯する」キリスト教者として釜ヶ崎の労働者と接して、自らの上から目線の不遜な傲慢さに気付く。読み手としても、今までにない視点に気付かされ感謝。じっくり考えて、また再読したい書。2025/03/27
二戸・カルピンチョ
22
どこまで私がこれを理解し人生の中で行動できるのかなぁって思う。もしかしたら全然行動できないかも知れない。私は対立が嫌だから。本当に嫌だから。2025/06/15
らい
13
懺悔と祈りのような文章。教会一本でやって来た人が、こういう赤裸々な告白するんだな、すごいと率直に思った。宗教組織と宗教の本質は、あまり関係ないという意見が、こういう人から聞けるのは嬉しいな。組織を維持しようと思ったら、集団の論理がどうしても必要になってくるもん。二章以降は、小さくされた人がどうして強いかを、聖書を交えて解説していた。聖書読まないとなあ。宗教、宗派に関係なく、人は福音を生きていくべきか。霊性を高めた人ってのは貴いなあ。2022/02/19
tu-ta
9
読書メモ書きました。URLはコメント欄 図書館にある単行本を読んだあと、文庫でメモを書きながら読み直した。この本の文庫版あとがきのいちばん最後のところで、安倍政権のなし崩し改憲や教育介入、原発問題を指摘して、「どうしたら、この閉塞した状況を打ち破ることができるのか」と問いを立てる。 結局、 「人を人として大切にする。ここに立ち戻るところからやり直すしかない、現実的なとっかかりは、今いちばん大切にされていない人(人々)の側に視座を移すことだ」という。 そして、具体的に動くことが問われている。2015/09/10
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