内容説明
日本人の戦争観はどのように作られ、変化してきたのか。一億総懺悔論や大東亜戦争肯定論など、政治家・知識人の発言から、戦記物や投書に表れた市井の人の声まで、膨大な素材を検証。対外的には最小限の戦争責任を認めつつ、国内では不問にしてきた様をえぐる。教科書をめぐる史観論争など、近年の動きを補う。
目次
第1章 歴史意識と政治―九〇年代における政策転換
第2章 「太平洋戦争史観」の成立―占領期
第3章 認識の発展を阻むもの―占領から講和へ
第4章 ダブル・スタンダードの成立―一九五〇年代
第5章 戦争体験の「風化」―高度成長期
第6章 経済大国化のなかの変容―一九七〇年代
第7章 ダブル・スタンダードの動揺―一九八〇年代
第8章 歴史からの逃避―現在そして将来
著者等紹介
吉田裕[ヨシダユタカ]
1954年、埼玉県生まれ。77年、東京教育大学文学部卒業。日本近現代史専攻。一橋大学教授
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感想・レビュー
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夜間飛行
174
日本人の戦争観は冷戦下での米主導の政治に従い、現実認識と内省を欠いたまま前世紀を終えた。太平洋戦争史観に乗っかって開戦責任を敗戦責任にすり替え、国民はダマサレタと思うことで罪悪感を緩めた。中曽根、細川、村山と戦争責任を認めたのもアジアでのリーダーシップを握るためであり、謝罪と同時に侵略は一部の行為だとして学校教育には反映せず、補償は解決済みとした。アジア諸国への賠償も経済網を拡げるチャンスと捉えた。戦後史と日本人の戦争観を丁寧に分析しており、上っ面でしか考えてこなかった自分を振り返るのに良い機会であった。2025/08/10
nnpusnsn1945
59
日本人の戦争観は、総括すると欧米とアジアに対するダブルスタンダードが存在すると論じている。戦記や幕僚史観、海軍史観に対しても考察している。海軍史観の問題点に、士官のエリート主義の弊害や無差別爆撃に関与した等の指摘が見られた。以前筑波空の記念館に行ったが、爆撃で焼けた戦時中の中国の写真が添えられていた。恐らくは必ずしも被害者だけの視点だけではないとの姿勢を表していた可能性がある。(特攻自体統率の外道としか言えないのだが)2022/05/31
おたま
35
この本の元が書かれたのが1995年、そこで内容もその時点での総括となっている点に留意しなくてはならない。大筋での、戦後の「日本人の戦争観」はもちろん変わらないが、現状認識が随分と変わってきているように思う。ここでは、その時点で「大東亜戦争肯定論」の退潮や軍隊や戦争に対する忌避感が根強く存在していることを述べている。ただ、日本人による戦争責任の追及不足や、アジア諸国に対する加害者意識の希薄なことも書かれており、それをいかに克服するかが今後の課題として残されていた。しかし、現在はさら大きく様変わりしている。2023/08/01
Toska
22
「あの戦争」への日本人の眼差しはどのように変化してきたか。テーマ自体は月並みでも、この著者ならではの明瞭な文体と綿密な分析で読ませる。戦後日本の戦争観は、長らく「対外的には反省のポーズ、内輪では逆の主張」のダブルスタンダードが支配的だった。だがこんなごまかしがいつまでも続くものではなく、戦争の肯定派・否定派双方に不満を呼び、新たなチャレンジが始まっている。これは本書が出た1995年時点での分析だが、日本は今もその泥沼から抜け出せていないのではないか。2024/07/27
ステビア
21
日本人は15年戦争について真に反省してこれたのか。面白くて一気読み2022/03/14
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