内容説明
「人間は昼の光のなかで生きていると思いがちなものですが、世界の半分は常に闇のなかにあり、そしてファンタジーは詩と同様、夜の言葉を語るものなのです」意識下の闇の世界を旅して発見した夢の素材を言語化する―。『ゲド戦記』『闇の左手』の作者が、自らの創作の秘密を語りながら、ファンタジーとサイエンス・フィクションの本質に鋭く迫ったエッセイ集。
目次
モンダスに住む
みつめる眼
夢は自らを語る
エルフランドからポキープシへ
アメリカ人はなぜ竜がこわいか
子どもと影と
SFにおける神話と元型
性は必要か?
エスケープ・ルート
アメリカSFと他者
石斧とジャコウウシ
魂のなかのスターリン
SFとミセス・ブラウン
書くということ
宇宙論のすすめ
著者等紹介
ル=グウィン,アーシュラ・K.[ルグウィン,アーシュラK.][Le Guin,Ursula K.]
1929年アメリカ合衆国バークレー生まれ。ラドクリフ大学とコロンビア大学で、フランス及びイタリアのルネッサンス期文学を専攻。作家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
アナクマ
33
『ゲド戦記』作者によるSF・ファンタジーの擁護論、応援宣言。大人がファンタジーを捨てていくことを嘆き「あそびを知らぬ子どもは大人にもなれません」「想像上の火山に魔法の指輪を投じようとするホビットの苦難の物語を読んで学ぶたぐいのことは、社会的地位や物質的成功、収入などとはほとんどかかわりがありません」しかし…と続くのです(74年)。このことも、フェミニズムとの間合いにしても、開拓者/少数派としての自信と誇りを感じる読み物でした。◉「言うまでもなくファンタジーは…事実ではありません。でも真実なのです」2022/09/14
roughfractus02
10
「王様は裸だ」と言う子供は真実と事実を分ける力がある。誰もが確認できる事実(fact)は虚構(fiction)と混同されやすいのだ。両者はfacere(作る)の派生形なのだから(「裸の王様」では大人たちが事実と虚構を混同していた)。一方真実は個々の内にあり確認可能な事実とは違う。それゆえ真実を見つけ出す役割は芸術に託され、芸術家は自らの想像力と文体でその時空を作り続ける、と著者はいう。著者の作品が夢や詩を多用するように見えるのは、白昼の下に晒される事実より夜に紛れる真実へ物語の言葉たちが向かうからだろう。2024/01/27
isfahan
8
「子供は自分自身の影になら向かっていくことができ……それに道案内させたりすることを学べるでしょう。そして大人になり……世のなかに行われている悪に直面しなければならなくなっても絶望して気力を失ったり、自分の眼にしているものを否定することの少ない人間になるでしょう。……全ての終わりに待ち受けている最後の影に直面するときにも」。ル・グウィンの語るファンタジーの力。ファンタジーを書き読むことで直面する内面の影との対決と融和。それは現実で直面する影と戦う時にこそ力を発揮する。私でもまだ間に合うはずと思いたい。2013/01/25
植岡藍
7
創作論としてとても面白く読んだ。「闇の左手」の副読本にも。問題意識や問いが世界を作っていくのだと改めて思った。これからも折にふれて読み返したい1冊。2018/11/24
Shin
5
ル=グウィンのエッセイを読むのは二冊目、彼女の指摘あるいは議論はファンタジーをただのヤングアダルトの退屈を紛らわせるものから、人間探求にもっとも適している表現法へと高めてくれる。準創造世界は計画するものではなく発見するもの、ファンタジーは真の善を語ることができるものであること、ファンタジー作家は自己の無意識世界を探求しなければ本物の神話は語れないということなどetc....。目から鱗のファンタジー論でした。とても教えられます。2016/08/30