内容説明
地中海の帝国と言われるローマ帝国は、実は「大河と森」の帝国だった?衰亡の最大原因とされる「ゲルマン民族」は存在しなかった?あの巨大な帝国は、わずか三〇年で崩壊した?―歴史学の最新の知見から“二一世紀の衰亡史”を語り、栄えた国が衰えるとはどういうことか、国家とはそもそも何なのかを考えさせる、刺激的な一書。
目次
序章 二一世紀のローマ帝国衰亡史
第1章 大河と森のローマ帝国―辺境から見た世界帝国の実像
第2章 衰退の「影」―コンスタンティヌス大帝の改革
第3章 後継者たちの争い―コンスタンティウス二世の道程
第4章 ガリアで生まれた皇帝―「背教者」ユリアヌスの挑戦
第5章 動き出す大地―ウァレンティニアヌス朝の試練
第6章 瓦解する帝国―「西」の最後
終章 ローマ帝国の衰亡とは何であったか
著者等紹介
南川高志[ミナミカワタカシ]
1955年三重県生まれ。1979年京都大学文学部卒業、84年同大学大学院博士後期課程研究指導認定退学。大阪外国語大学助教授を経て、京都大学教授。専攻は西洋古代史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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佐島楓
40
世界史の通史を勉強していなかったので、大筋さえも頭の中に入ってきたかどうか怪しいところ。とはいえ、課題が出ている以上、何べんか読み返さなければいけない。2015/07/05
Nat
37
図書館本。五賢帝の時代後にどんどん衰退していったイメージのローマ帝国だったが、東西に分かれてからも四世紀の370年代中ごろまでは、対外的に決して劣勢ではなかったとのこと。著者は、ブリテン島の支配権喪失した409年をローマ帝国の統治能力喪失の象徴と考えて、事実上帝国であることをやめたととらえている。四世紀後半から五世紀初めの30年ほどで帝国があっという間に滅んでしまった。その主因は外部から多くの人材を得て成長してきた国が保守的になり偏狭な差別と排除の論理に支配されたこととしている。これは現代世界にも通じる。2024/03/01
燃えつきた棒
33
著者は、いわゆる「ゲルマン人」という存在に疑義を呈しており、原則として本書中では「ゲルマン人」、「ゲルマン民族」という呼称を使用していない。 【今日の学界では、「ゲルマン人」と呼ばれる集団は、固定的で完成された集団とは考えられていない。非常に流動性の高い集団で、その時々の政治的な利害によって離合集散を繰り返して、その構成員や集団のアイデンティティが形作られていったと理解されている。(略)今日では古代の民族集団は固定的なものとは考えられていない。集団のアイデンティティも可変的であると理解されている。】2023/12/06
壱萬弐仟縁
33
ローマ人であるというアイデンティティは、 誰かを排除するのでなく、 多様な人々を統合するイデオロギーとなった(43頁)。 ユリアヌスは、民政でも記録に残る改革として、 北フランスの属州第2ベルギガでの徴税を適切な水準に とどめ、税の標準額を72%も削減して、税負担を軽くした(126頁)。 まぁ、羨ましいこと。 但し、神々との交信のため、 動物を犠牲にして市民からは反感を買い、 屠畜者と皮肉られた(138頁)。 一長一短の皇帝であった。 2014/04/06
ようはん
25
ローマ帝国は近隣の異民族をローマ市民として受け入れて人材として活用してきた強みがあり、帝国末期の辺境の防衛線を支えた軍人も異民族出身が多かった。しかし4世紀後半辺りから異民族への排他的な思想が帝国内で目立つようになり異民族の血を引くスティリコのような防衛維持に多大な尽力をした優秀な人材が粛清されるまでになり帝国の滅亡が決定的になった事が語られている。とはいえ、異民族との絶え間ない戦争や帝国内部の権力争いを見ると遅かれ早かれ広大な帝国は維持出来なかったんだろなとは思った。2022/02/11