出版社内容情報
勝海舟と西郷隆盛といえば、明治維新の江戸無血開城の立役者として有名である。しかし、二人の関係はそれ以降も終生続いた。さらに海舟は西郷が西南戦争で斃れた後、その名誉回復に尽力し、遺児の面倒をみた。敵対関係にあった両雄がなぜ交友を続けたのか。出会いから海舟の西郷追悼行動までを丹念にたどり、その秘密にせまる。
内容説明
勝海舟と西郷隆盛といえば、明治維新の江戸城無血開城の立役者として有名である。しかし、二人の関係はそれ以降も終生続いた。さらに海舟は西郷が西南戦争で斃れた後、その名誉回復に尽力し、遺児の面倒をみた。敵対関係にあった両雄がなぜ交友を続けたのか。出会いから海舟の西郷追悼行動までを丹念にたどり、その秘密にせまる。
目次
序章 出会うまで
第1章 両雄の第一回会見
第2章 第二回会見と江戸開城
第3章 西南戦争と西郷の死
第4章 亡友追悼の日々
第5章 遺児を支援
第6章 征韓論否認と日清戦争
終章 西郷の後家と話すや夢の跡
著者等紹介
松浦玲[マツウラレイ]
1931年広島県に生まれる。京都大学放学処分、立命館大学大学院修了、京都市史編纂所主幹、著述業、桃山学院大学教授等を経て現在著述業。専攻は日本近代政治史・政治思想史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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skunk_c
15
例によってテンポの良い松浦節で、この幕末・維新のキーパースンの関係を叙述する。と言ってもこのふたりが直接会う機会は意外と少ない。しかし両者には敵味方を超えた相手を信頼する意識があったのがよく分かる。メインは勝が西南戦争後の西郷の追悼と名誉回復、そして遺児たちへの支援に奔走する様子で、「記録の苦手な勝」の日記に苦心しながら、様々な傍証を加えて丹念にその様子を解きほぐす。史料の読み方指南があったり、日清戦争頃から勝が「西郷隆盛は征韓論者ではない」と強弁しつつ日清戦争批判をしたりする様子が面白い。2016/03/22
春風
14
生前の勝海舟と西郷隆盛の交流、そして西郷死後の海舟による追悼を論じた書。大量の書簡・手記が登場し、新書にしては執拗な程の出展記載がある。これにより、著者の思索を追体験しながら、晩年の海舟の事績が明らかになるような体裁を採っている。追悼に関わる書簡には漢詩や和歌が頻出するので、文意の理解に関しては至らぬところが多々。また、海舟は覚え書きの重要性は感知すれども、日付の記載が無い故に、後々纏める際に記憶違いが生じ、史料を読み解くのが難解になっているなどの研究に関する小噺が挿話されており、それらも興味深く読めた。2016/07/17
壱萬参仟縁
14
僕は高校生の学習指導で、「隆盛」をりゅうせい と読んでほしいところ、たかもり と読まれて、正直いって、冷や汗ものでした(冷笑)。西郷さんの「敬天愛人」の達筆さ(54頁)。アーネスト・サトウは鹿児島にやってきた(66頁)。海舟は記録が苦手であっという(186頁)。ご自身は立派に日本史上の人物として記録されているのではあるが。巻末の参考文献や、索引も充実しており、読者思いの著者の姿勢が伝わる。内容はまだ不勉強なので、再読していきたい。2013/08/03
退院した雨巫女。
13
《私‐図書館》幕府の勝海舟と薩摩の西郷隆盛が、あんなに仲良くなれたのは、篤姫が、きっかけかな。西郷の遺児の面倒や、西郷の名誉回復にまで、勝海舟が、動いていたとは、思いませんでした。2012/03/15
マリーゴールド
7
晩年の勝海舟が、西郷が征韓論者だったという説を否定するような談話を残していると知ったのは、毛利先生「明治六年政変の研究」の第3章第1節「西郷隆盛」の注からだった。 紹介されていたのは、この本の著者松浦玲先生の雑誌掲載の論文「征韓論をめぐる二つの潮流」で、今該当の注を読み返してみても、確かに西郷が征韓論者ではなかったとする海舟の言説を松浦先生は一概には否定していない。けれど、その後の研究の進展のせいか、本書では、西郷は征韓論者だったという説をはっきり支持しているようだ。2019/02/24