出版社内容情報
この二つの論文は,ヘーゲル左派に属していた若きマルクスが,フォイエルバッハの宗教批判をこえて,マルクス自身の立場に到達し,『経哲草稿』さらには『資本論』への道をきり拓いた画期的著作である.市民社会をこそ問わねばならぬとして,批判の正面におき,かれの「人間的解放」の思想を鮮やかに力強く展開する.
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
壱萬参仟縁
18
キリスト教国家は、 その本質(傍点)からいって、ユダヤ人を解放することはできない(9頁)。宗教的偏執と政治的解放との矛盾(傍点)の問題(11頁)。偏見(傍点)は、普遍的な(傍点)諸原則によって圧倒されているにもかかわらず、いぜんとして残っている(12頁)。われわれが主張するのは、彼らが世俗的な障壁を揚棄するやいなや、ただちに彼らの宗教的偏狭さを揚棄することになること。神学的問題を世俗的問題に変える(19頁)。出生、身分、教養、職業(傍点)の区別を、前提としてのみ実在し、みずからを 政治的国家(傍点)として2021/01/28
恋愛爆弾
17
宗教を捨て公民として国家に属しても市民革命以降の利己主義=貨幣のやり取りを守るための国家において何の意味もないし、そしてユダヤ人の貨幣のやり取りはもはやユダヤ人だけのものに収まらなくなっているわけだし、さらにヘーゲルが職能団体の代表制に法的な秩序を持たせるために市民を公民化すればいいと言っても市民社会は私的利害を優先するので公共性に結び付かないし、だからといって国家と市民を分離するわけにもいかないので、私有財産を持たないプロレタリアートが革命の主体になるべきだ……なのか?わかりそうでわからん。2022/02/08
chanvesa
17
あまりにエモーショナルな議論。そうであるがゆえに、むしろ読んでいてときめかない。ヒューマニズムは歴史の暴風に揉まれ、マルクスの希望的観測ならぬ思考の、ある面での弱さと、御都合主義の利用によって無用の長物という烙印を押されてしまった。もし、マルクスの「再発見」をするのであれば、まさに『ブリュメール18日』とか、この本の疎外論の前提である人権論(48頁~)の指摘は鋭い。しかしそこには人間的な解放の議論が。。。そこに収斂していくマルクスは心優しい、優しすぎる。2015/05/13
金吾
12
経済の話が革命思想に取り上げられていく過程の一端が理解できたように気がします。宗教的素養が乏しいため、理解しにくい部分もありましたが、全体としてはわかりやすかったです。市民社会の捉え方は当時としては斬新なものだと感じ、やはり非凡な人だなと思いました。2020/10/01
スズツキ
7
表題の前者はバウアーの『ユダヤ人問題』へのマルクスのアンサー。「解放」を渇望するユダヤ人にバウアーはユダヤ教との訣別を説いたが、マルクスはそうしなくても政治的には解放される、よってこのこと自体は人間的開放ではないと主張する。後者はヘーゲルに端を発するドイツの「解放」。一国民による革命と市民社会の特殊階級の解放が一致し、ある立場が一般社会全体の障害になるほど欠陥が集中していなければならない。ドイツは根本的に革命を起こさなければ、隷属状態を打破できない。この解放の頭脳は哲学であり心臓はプロレタリアートである。2015/01/06
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