出版社内容情報
神を畏れ敬うことこの上なく深く,道徳的にも信仰に於ても非の打ち所のない暮しを続けて来たヨブに神は次々と苛酷な試練を下した.罪なくして受けねばならないこの重荷の意味を問うてヨブは苦悩する.神の義に人間の義を対決させ問いつめる本書は,旧約の中でも際立った特色を持ち,文学,哲学等に与えた影響も特に強い.
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
molysk
69
神を信じること篤く、行いの正しき人ヨブに、神は試練を課して、ヨブはすべての財産を失い、重い病におかされる。友人たちは、この苦難は犯した罪への報いとして、ヨブに悔い改めるように求める。ヨブは身の潔白を誓い、友人たちに反論して、ついに神に挑戦する。神は反論する。神の全能と愛を知り、神への不信を悔い改めたヨブを、神は祝福する。神を信じて行いを正しくすれば、幸福が得られる。この応報思想は、利益重視で人間中心の信仰だ。神の故に、神を信じる。苦難の中で得られるのが、神中心の信仰。ヨブ記で問うのは、この対比ではないか。2022/07/31
藤月はな(灯れ松明の火)
60
PSYCHO-PASS2での絶望の第四話と、人類文化学の授業でタレンシ族の祖霊崇拝はオイディプス的宿命論とヨブ記的正義で成り立っていると聞いたので元ネタを読んでみることにしました。ヨブは神を信仰していたが、神はその信仰が本物かどうか試すために悪魔も使ってヨブを不幸にする。「神を信仰していたのに不条理に見舞われると呪うのは、無意識に神の信仰への驕りがあったためだ」と結論付けられているが、怒りや呪詛が生きる糧になることもあるのだ。それを間違いだと言うのは、その者の絶望を知ろうとしない者の傲慢でしかない。2014/11/29
syaori
46
「わたしがどんな罪過を/あなたに犯したというのか」、突然財産も子も失い、病に侵されたヨブの叫び。それはヨブが罪を犯した報いではないのかと応報思想をもってヨブを責める友人たちに対する、また神に対する、どうして「全き者も悪しき者も彼は滅ぼされる」のか、どうして「悪人が生きながらえ/年とってその富も増し加わる」のかというヨブの問いは宗教や時代を越えた根本的な疑問として迫ってきます。ただ、それに対し逆にヨブに問いかける神の答えは頭では分かったように思うものの、納得し難い感じもあって、難しい問題だなと思いました。2017/01/31
絹恵
34
前提として、"全能者は同じ瞬間に全能である必要はない"としたからこそ、神、サタン、ヨブの役割を義務に従う人間が流動的に満たして、正しさの在処を眩ませている。これは"大切なものは目に見えない"という原理を利用して、相対的な善と悪の裏付けを知らずに誰もがこの配役をこなして、救い救われる。そうすることで見える聖書における救済のパラドックス。そんな危なっかしい話はするものではない。(PSYCHO-PASS1期17話『鉄の腸』よりシビュラ、2期4話サブタイトル『ヨブの救済』及び2期全編) 2017/10/24
くまさん
33
神様がヨブの正しさを「苦しみによって験(ため)された」のは、悪に向かわないようにするためだという。大風でみな死んだ子どもたちと腫れ物で痛めつけられた肌は、「神に抗議しよう」とした心を改めさえすれば蘇生するのだろうか、そんなに容易に運命は変転するのだろうか。ここに人間のいわれない受難の源流があるのだろうか。「神を呪って死んだらよいのに」。妻の素朴なひと言の威力のほうが絶大だと思う。天地創造の時を知らないことが、神への信を生むとは限らない。苦しみに理由がないということに耐えられるかどうか。厳しい試練は続く。2018/12/09