岩波文庫<br> 神学・政治論〈下巻〉―聖書の批判と言論の自由

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神学・政治論〈下巻〉―聖書の批判と言論の自由

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  • サイズ 文庫判/ページ数 307p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784003361528
  • NDC分類 135.2
  • Cコード C0110

出版社内容情報

「エチカ」と並ぶスピノザの代表的著作.生前に公刊した唯一の書である.神学者たちの諸偏見を指摘し,哲学と神学の分離を説き,教会に対する国家の優位性を規定し,思想と言論の自由を主張し,かつそれらの所説の前提として聖書批判を試みている.1670年に出版されるやその革命的内容のためたちまち論難の的となった.

目次

本章にはモーゼ五書並びにヨシュア、士師、ルツ、サムエル、列王の諸巻が之らの人々自身に依つて書かれたのではないことが示される。その後で、之らの諸巻の著者が数人であつたか、それとも一人であつたか、一人であるとすれば一体誰であつたかについて探究される
之らの諸巻に関する他の諸研究、即ちエズラは之らの諸巻に最後の仕上げをしたかどうか、ヘブライ写本の中にある欄外註は異なれる読み方を示したものかどうか
旧約聖に於ける爾余の諸巻が上記の諸巻と同様の方法で吟味される
使徒たちは彼らの書簡を使徒として又預言者として書いたのか、それとも教師として書いたのかが探究される。次いで使徒たちの職分の何たるかが示される
神の律法の真の契約書について。又如何なる意味に於て聖書が聖書と呼ばれ、又如何なる意味に於てそれが神の言葉と呼ばれるか。そして最後に聖書は、神の言葉を含む限りに於ては損はれざる形に於て我々に伝はつたことが示される
聖書の教へは極めて単純なものであること、又聖書は服従以外の何物をも目的としてゐないこと、更に又聖書は神の本性については人間が一定の生活方法に依つて模し得られこと以外の何ものをも教へてゐないことが示される
信仰とは何であり、信仰者とは如何なる人々であるか。更に信仰の諸基礎が規定され、そして終りに信仰が哲学から分離される
神学は理性に隷属せず、理性も神学に隷属しないことが示され、併せて我々が聖書の権威を信ずる理由が説かれる
国家の諸基礎について、各人の自然権及び国民権について、また最高権力の権利について
何びとも一切を最高権力に委譲することが出来ないし、又その必要もないことが示される。更にヘブライ人の国家がモーゼの在世時代にどんな風であつたかについて、又モーゼの死後、諸王が選ばれる前には、どんな風であつたかについて、又その国家の優越性について、最後に又神の国家が亡んだり、騒擾なしには殆ど存続し得なかつたりした理由について語られる〔ほか〕

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

karatte

11
再読。無理矢理プラトンと対応させてみると、『国家』=本書で、『法律』=『国家論』みたいな感じ?(総論→各論へ的な)。まあプラトンと決定的に違うのは、本書は生前刊行された唯一の書(しかも匿名)でありながら、教会筋は固よりデカルト主義者からも囂々たる非難を受けて敢えなく発禁処分になっている点。聖書に真理はない、と断ずるならまだしも、真理なんてあろうがなかろうがどうでもいい、というラジカルな態度が様々な知識者層の癇に障ったのだろう。かくして本書が近代聖書学の礎となるまでには、更なる年月を俟たねばならなかった。2019/05/25

roughfractus02

4
神聖政治は体現することでしか成功しない、と著者はいう。モーゼは知らずにそれを行なうことができたが、それが真とされる時、規則が始まり、様々な儀礼に人々を従わせる排他的体制を作る。著者にとって国家は、宗教と哲学が混濁せず並行的である場であり、この維持のために権力の行使も肯定される。だが、この並行性の維持には、人々を身体を持つ抵抗的存在として解する知が必要だ。本書の執筆で中断した『エチカ』後半のテーマが既に本書にある。精神と身体を並行的存在として維持可能な知は、政治と並行すべき道徳以前の倫理によって要請される。2017/02/17

karatte

2
(以下、P275本文より抜粋。原文は旧仮名遣い)敢えて言う、国家の目的は人間を理性的存在者から動物或は自働機械にすることではなく、むしろ反対に、人間の精神と身体が確実にその機能を果たし、彼ら自身が自由に理性を使用し、そして彼らが憎しみや怒りや詭計を以て争うことなく、又相互に悪意を抱き合うことのないようにすることである。故に国家の目的は畢竟自由に存するのである。

ULTRA LUCKY SEVEN

1
強烈な後半の政治論こそスピノザの現在でも読まれて新しい所。端正さと聖書の原理主義を貫き、教会、腐敗、歪曲の偽善を叫んだ本書は現代においても「正義愛」「聖書」の重要さはまったく変わらない。2011/02/20

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