出版社内容情報
これは夢と現実との相剋の書であり,空想と情熱とが世俗のうちに置かれたときの不幸を物語る悲劇である.作者の目的は飽くまでも「美」の追究であったが,しかしこの小説が作者の書斎のなかで美を枢軸として自転している間に,それはまた十九世紀フランス文学史上では,写実主義の世界に向って大きく公転していた.一八五七年.
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
314
小説という表現形式の、一つの到達点をここに見る思いがする。これは直接は19世紀後半の、ルアンとその周縁の、きわめて限定的な世界を描いているが、その後の市民社会の行末を予見するかのようだ。「ここではない何処か」を夢想し、モラルからも経済からも逸脱してゆくエンマ。そんなエンマを最後まで信じ、愛し続けたシャルルもまた別の意味で夢想家であったのかも知れない。二人はあるいはドン・キホーテとサンチョに比肩しうるだろうか。ボヴァリー家は中産階級から脱落し、典型的プチブルのオメーは益々繁栄する結末には呆然とするばかり。2015/12/19
ヴェルナーの日記
275
本当の恋を知らず結婚したエンマは、平凡な夫・シャルルに飽きて自分を焔と燃やす不倫を続ける。その代償は文字通り高くついた。 シャルルの依頼でオメーがエンマの墓碑の碑銘を刻むが”Sta viator,Amabilem conjugen calcas."(行人よ、足を留めよ。汝が足下なるは吾が愛しの妻ぞ)で行き詰まってしまい、その先が書けなかった。そこで神をも怖れぬ所業ながら、この先をイギリスの代表的なロマン派詩人ウィリアム・ワーズワースの詩の一節を入れさせて戴きます。作者・フローベールに冠しフンランス語にて。2016/11/23
セウテス
67
後半は正にジェットコースターの如く、急下降していく展開となる。不倫も上手く行かず、心が充たされないボヴァリー夫人は、散財し残されるのは借金だけ。昭和なら何時も妻を愛した純粋な夫だろうが、現代では愛してるだけで妻を理解しようとしない夫と言われるかも知れない。物質的には不自由の無い現代において、無気力や息ぐるしさを感じる女性がいる事を、示唆していた様にも思える。記念日だサプライズだと言う現代も、彼女と同じ心の充実感の無さの表れでなければ良いと危惧する。薬屋がやがて名士になるのは、当たり前であり教えでもあろう。2017/12/20
えりか
46
果実の季節になると家々でジャムを作る。町中が甘い香りに包まれる。町並みの美しい情景が目に浮かぶようだった。愚かなボヴァリー夫人。でも誰もが彼女のようにロマンスやドキドキやワクワクを夢に見たことがあるのではないだろうか。平凡さや穏やかさだけでは満足できない。何かが自分に起こるのではと夢想する。富や栄誉を得ることかもしれない、大冒険に出ることかもしれない、危険で甘い恋に落ちることかもしれない。追いかけても追いかけても、決して掴むことはできない。欲は満たされることがないから欲なのだと思う。それは人を狂わす。2016/05/12
三柴ゆよし
32
ロマンの完膚なき破壊によって生まれた異形の小説(ロマン)。極度に磨き抜かれた散文は、紋切り型のドラマに向かう道筋から細心の注意をもって脱線し、虚無にも等しい凡庸さのほうへ、どこまでも突き進んでいく。下巻ではいよいよエンマの不倫と破滅が描かれるが、後半、情欲に狂うた彼女が借金を繰り返すくだりなど、まるで『闇金ウシジマくん』を髣髴させるようなすさまじさである。退屈な人間しか出てこない、あまりに即物的な物語が、どうしてこうもおもしろいのか。いまだにフロベールフロベール言われる理由が、ここにきてようやくわかった。2020/04/19
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