岩波文庫
ワイマルのロッテ 〈下〉

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  • サイズ 文庫判/ページ数 365p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784003243435
  • NDC分類 943
  • Cコード C0197

出版社内容情報

ワイマルにあって,大公の敬愛のもとに栄光に包まれ,殆ど神聖視すらされている老ゲーテと,「若きウェルテル」のロッテの四十四年ぶりの再会.永遠の女性としてゲーテの作品に刻みこまれたロッテと現身の老婦人ロッテとの対比に重ね合わせて,作者は詩聖ゲーテをその心の内部にふみこんで,精緻かつ周到に描き出してゆく.

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

hachi921

4
読了。 超ゲーテマニアがゲーテマニアの為に書いたような本。 正直言って、この小説の感想を書けるほど理解できていないのが現状だけれども、マンがゲーテに対する思い入れたっぷりなのだけは伝わった。ファウストとウェルテルを読んだときに、マンと文体が似てるなとは思っていたけれども、やっぱり文体も強く影響されてたのかなぁ。2019/12/06

てれまこし

3
本作は「ナチス批判」でもあるなんて言っておきながら、どんな批判なのか何の説明もない。そんな不親切な解説ならない方がよい。まさか暴君ゲーテにヒトラーが重ねあわされているわけじゃないだろう。むしろ、善悪を超越した天才とその他大勢の関係にドイツ的な危うさがあるって話じゃないだろか。高い精神性への憧れと事大主義が不安定に同居していて、それが怖いって話じゃないか。でも、天才が天才たるには多数の凡才に認めてもらわないとならない。だから、天才は多数の声を代弁しようと努める。英雄崇拝と事大主義の相性は決して悪くないかも。2018/10/11

tieckP(ティークP)

2
トーマス・マンが最も敬愛し、後半生を捧げたと言って過言ではない作家ゲーテを題材にした本であって、だからこそ腹話術のようにゲーテの思考を彼になりきって語ることも許されるわけである。とりわけ、その貴族的思考の嫌らしくも絶対的な性質を再現するのは非常に上手い。一生をゲーテについて考えてきたシャルロッテという立場から述べられた、偉大さには善も悪もないという表現こそマンの感想として見事であるし、この立場だからこそゲーテという国民的信奉の対象を、犠牲を求める悪として非難もできる。盲目でない愛情表現らしいシニカルさ。2017/11/30

黒猫グリ子

1
シャルロッテがワイマルに訪れる。ゲーテ関係者の訪問に次ぐ訪問。そしてゲーテ本人とのひと時の再会。マンもゲーテ自身ではないので周囲の人間にゲーテのイメージを延々語らせる妄想の物語、だが。延々と旅館での会話に、マンの忍耐強く書き続ける展開のない文章に付き合うのは正直辛かった。突然にユダヤ人や偉人の話を始めるが、それが強いヒトラー批判なのか。ロッテのためか、誰のための物語なのだろう。マンは私の一番好きな作家だけに困惑し、これからも困惑の理由を考え続けます。2016/04/20

Tetsuto

0
上巻ではショーペンハウエルの妹が語るゲーテ像がおもしろく、下巻のはじめにゲーテの息子が父を語る。そして、ようやくシャルロッテは、偉大なるドイツ精神となった男と44年ぶりの再会。震えるほどの感激を読者にも与える。ゲーテの後継者を自負するマンは、ヒトラーに向かって叫ぶ「諸君が諸君のドイツ精神と呼んでいる悪意にみちた俗物精神などは、諸君もろとも悪魔にさらわれてしまうがいい。諸君は諸君をドイツと信じているが、この私こそドイツなのだ。ドイツが根こそぎ亡びることになっても、私の中にドイツは生き続けるだろう」2017/11/09

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