出版社内容情報
詩人・哲学者串田孫一(一九一五―)の,山をめぐる随想集.ページをめくると,独特の詩的で平易な文章で綴られた,山靴やスキーで野山を逍遙する著者の世界がひろがる.雨上がりの峰々の夕映え,山小屋のストーブを囲む語らい…….雪を待つ高原の一本の枯れ草までが魅力的な表情を浮かべている,著者自身が選び再編成した決定版.
内容説明
詩人・哲学者串田孫一(1915~)の、山をめぐる随想集。ページをめくると、独特の詩的で平易な文章で綴られた、山靴やスキーで野山を逍遙する著者の世界がひろがる。雪を待つ高原の一本の枯れ草まで魅力的な表情を浮かべている、著者自身が選び再編成した決定版。
目次
意地の悪い山案内
エーデルワイス
残雪の頃
山人の春
三月の山の想い出
春の山
岩壁
夏草の匂う日
山村の秋
山の夜風〔ほか〕
1 ~ 1件/全1件
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
獺祭魚の食客@鯨鯢
62
穂高岳山荘の宮田八郎さんも座右の書としていたそうです。深田久弥「日本百名山」が山登りブームを作ったとしたら、本書は単なるブームでない登山を提示してくれました。 あまりにも多くの人が押し掛け、山の神への畏敬の念が薄れたのではないかと危惧していたこともあり、コロナ禍は立ち止まって原点に還るよい機会だったように思います。 私の友人は40年近く前に冬の穂高で雪崩に遭い亡くなりました。何年か前に穂高神社へお参りし霊を弔いました。美しい姿を見せる山の女神はその感動と引き換えに黄泉の国へ連れていこうとします。 2020/08/09
翔亀
50
少しずつ山や海や診療所で読み続けた。パスカルが出てくるわけではないが著者はパスカル研究者。山行記が57編。その登山は本格的だ。読後感は、嫉妬。なぜ、こうもこの人に対し、これほどまでに鳥が囀り、草花が出迎え、岩石が語りかけるのか。いや、それは私の知識が足りないだけだ。それはいい。岩を登攀し、雪山をスキーで滑り、幾晩でも野営すること自体は、別に体験できなくともいい。なぜ、このように山を語れるのかに、猛烈に嫉妬を感じる。難解ではないが、その詩的といってもいいエッセイは実は追体験不可能なのかとさえ思えるのだ。 2015/09/26
アナクマ
32
島々谷の夜_ひとり上高地へ向かう夜。その理由を考えるともなく夜道を楽しむ。懐中電灯の球が切れ、「どうしようもない闇にこうしてしばられてしまっては、思索などは気取りすぎていていまいましい」。川岸で静かに朝を待つ。◉苗場山、岩菅山のへりを流れる雑魚川に沿って、信州・上州・越後をつなぐヤマの道あり。山賊が住まうという岩窟を訪ねる。「沢山骨がちらばっていたし、アルマイトの薬缶と、鉄鍋と茶碗がころがっていて、奥に山ノ神が祀ってあった」熊狩り猟師のものらしいのだが「ほんとうに山賊であることをねがう」著者。2023/12/04
あきあかね
30
「山は冬になると、夏や秋の一種の、情熱的ないきれをさっぱりと棄て、生命のぬくもりをもっと薄く、しかももっと鋭く生きはじめる。···頬に痛い横殴りの風と雪を待ち焦がれる心を、山を愛する人々は黙って抱いている。」 『山のパンセ』という表題の通り、山をめぐる様々な随想が収められている。冬の穂高を登る息子を案じる想い、一夜の礼として無人の山小屋に置いていったマッチ、夜の山の天幕でラジオから偶然流れ出たモーツァルトの繊細な音色。具体の山の名が出てくるものもあれば、何処の山とは分からないものもあるが、⇒2021/01/10
双海(ふたみ)
23
詩人・哲学者串田孫一(1915~2005)の、山をめぐる随想集。ページをめくると、独特の詩的で平易な文章で綴られた、山靴やスキーで野山を逍遙する著者の世界がひろがる。雪を待つ高原の一本の枯れ草まで魅力的な表情を浮かべている、著者自身が選び再編成した決定版。(カバーより)2015/06/20
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