内容説明
「私は戦争に行きたくないし、靖国神社に祀られたくない」。安倍首相の靖国参拝を問う訴訟の原告になった20代の若者は、法廷でそう陳述した。「戦争のできる国」へと突き進む安倍政権のもと、靖国神社に対する社会の意識が問われている。なぜ国家は戦死者を追悼しようとするのか。「尊い犠牲」とは何か。死者や遺族らの自己決定権は。国家による追悼に抗う人びとを追いながら、「靖国」の問題性を根源から考える。
目次
第1章 首相の参拝は何をもたらしているのか(若者が託した平和的生存権;遺児の集団参拝の時代経験から;参拝と違憲判決)
第2章 「靖国」と戦争の死者たち(母を通した戦争と「靖国」;「英霊」になった級友にわが身を重ねて;首相の参拝と社会意識)
第3章 追悼をめぐる自己決定権(母の悲憤の記憶から兄の追悼を考える;遺児僧侶、半世紀の問い;自己決定権という根源的な問い;国家の追悼観と揺らぎ;国家の追悼への疑問―ドイツ、沖縄、靖国)
著者等紹介
田中伸尚[タナカノブマサ]
1941年東京生まれ。慶應義塾大学卒。朝日新聞記者を経て、ノンフィクション作家。『ドキュメント 憲法を獲得する人びと』(岩波書店)で第8回平和・協同ジャーナリスト基金賞。明治の大逆事件から100年後の遺族らを追ったノンフィクション『大逆事件―死と生の群像』(岩波書店)で第59回日本エッセイスト・クラブ賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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加藤久和
6
小冊子ながらとても重要な問いを発する。「国家は戦死者を追悼してもいいのか?」と。日本の場合は「靖国」というやっかいな問題がある。私たちは国のために命を捧げた人々を国家が追悼するのは当たり前だとつい考えてしまうのだが立ち止まって考えてみたい。追悼とはあくまでも個人の心の中で営まれる厳格に私的な行為であって、そこに見も知らずの法人が関与してもいいのだろうか。それを許すということは「国のための死」を認めることであり、つまりは戦争を受け入れるということである。ラストの中学3年生の少女の見事な感想文に心を打たれた。2015/12/08
メイロング
5
かゆいところに手が届く。被爆者も英霊なの?と疑問に思うと「準軍属に認定されてます」とすぐに出る。海外の追悼施設は?「ドイツにノイエ・ヴァッヘがありますよ」とすぐに出る。薄い本ながら、読んでるうちにいろいろな考えが頭の中で渋滞して、たまに本を閉じて整理しないといけない。面白いから一気読み、だけが本の楽しみ方じゃないのね。きれいに伏線まで決まって、妙な満足感。2017/02/01
そーすけ
0
257*遺族の追悼を侵害する「靖国」。2016/10/10
乱読家 護る会支持!
0
憲法20条は「1.信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。2.何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。3.国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」さて、、、どう考えるか、、、2015/11/12
めっかち
0
悪書。著者の思想が強く不快この上ない。そして、不寛容。一部の遺族の「祀られたくない」というのは理解するにしても、圧倒的多数の遺族の「祀ってほしい」という点を完全に無視している。いや、無視ではなく理解できないのだろう。この人達からすれば、靖国神社は「戦争を賛美する軍国主義の象徴」なのだから。国家が「死んだら靖国に祀る」と言っておいて、戦争に負けたら「政教分離なんで国立追悼施設つくるね」というのを良しとするかが問題。「良し」と過去を顧みない著者のようなひとにはもはや言うことがない。2020/03/17