岩波現代全書
カント哲学の奇妙な歪み―『純粋理性批判』を読む

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  • サイズ B6判/ページ数 256p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784000291989
  • NDC分類 134.2
  • Cコード C0310

出版社内容情報

哲学史的な事情を踏まえてカントの認識論を見なおし、自然主義と全体論の観点からの近世哲学史理解へと導く。

内容説明

近代哲学はカントの認識論で素朴な経験主義を脱し、自然科学から自立したという理解は本当だろうか?哲学史的事情を踏まえるなら、カントの哲学は自然科学を形而上学によって基礎づけたのではなく、自然科学を基盤としてそれに形而上学の装いを与えたのではなかったか。自然主義と全体論の視点から近世哲学史を再検討する。

目次

第1章 論理空間が奇妙に歪んでいる―自然主義の伏流(『純粋理性批判』の初期の批評から;ロックとカントは相似形の枠組みの中で考えている ほか)
第2章 物自体はどこから来たのか―仮説的視点の劣化(なにごとも「体験」から?;デカルトの二元論に戻って ほか)
第3章 カントはいわゆる「一般観念」をこのように考えた―図式論の理解のために(英語の読めないカントはイギリス哲学をどのようにして読んだか;概念を直観化することとしての「構成」 ほか)
第4章 「無限判断」とは言うものの―伝統的論理学のよくない使い方(判断の量と質のおさらい;不確定言明とは ほか)
第5章 自然科学なのに無理に形而上学のふりをして―『純粋理性批判』の背面の論理(アプリオリな総合判断には二つの種類がある;「概念から」―形而上学(純粋哲学)の場合 ほか)

著者等紹介

冨田恭彦[トミタヤスヒコ]
1952年生。1975年京都大学文学部哲学科卒業。81年同大学大学院文学研究科博士後期課程研究指導認定退学。博士(文学)。現在、京都大学大学院人間・環境学研究科教授。専攻:哲学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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またの名

13
カントって実は変なロジックを用いてるのでは?との問いを、英米哲学と経験論の専門家が真面目に探求。経験可能な現実の事柄から議論を立ち上げていく自然主義を批判し、アプリオリな総合判断という超歴史的な原理を打ち出した哲学者の議論が、たとえば経験の類推で哲学的原理→自然科学という優劣・順序を唱えているのに、実際には自然科学→哲学的原理になってると指摘。ドゥルーズ風の言い方をすれば、超越論的領野は経験的領野を基礎づけると主張するにも関わらず、経験的領野を引き写すことで前者を描いている(國分功一郎)こと等が暴かれる。2018/02/26

Z

5
ロック、バークリーなどイギリス経験論の影響や彼らの思想との対比、また当時の論理学の歴史を参照してカントの理解を重層的に深められるのは良かったが、本の主張は当たり前じゃないか。著者は「カントの哲学は自然科学を形而上学によって基礎づけたのではなく、自然科学を基盤としてそれに形而上学の装いを与えただけでは」とするが、これがわからない。私の考えでは自然科学が可能ならどのような認識の仕組みが人間に備わっている必要があるかを考えており、それならカントの論旨が自然科学を基盤にしているのは当たり前じゃないか?デカルトじゃ2021/07/22

meiji

1
15%ぐらいは理解できてかもしれない…2022/10/31

hryk

1
カントの『純粋理性批判』が自然主義的見解に依拠しながらも超越論的観念論の道に進むことでそれを崩すという歪みを持つことを解き明かす書。ロック、バークリ、ヒューム、カントの抽象概念の展開や中世の論理学とカントの論理学講義の相違点など、歴史的文脈も広く参照されており、とても勉強になった。『カント入門講義』と同じ問題意識で書かれているので、両者を続けて読むと著者のカント解釈のスタンスがよりはっきりしてくると思う。2017/05/10

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