内容説明
アジアは古代ギリシアの哲学と同様に、仏教や儒学のような優れた思索の伝統を生み出しながら、なぜ西洋の近代哲学のような、現代世界の思想文化に多大な影響を与える「哲学」をもたないように見えるのだろうか。西洋の近代哲学と向き合いつつ東アジアからの哲学的貢献を目指した京都学派と、中国思想を西洋哲学と対等な思想体系として再構築しようとした新儒家をとりあげ、東アジアの「哲学」がもつ新たな展開の可能性を考察する。
目次
第1章 東アジアと西洋哲学―「哲学なし」とはどういうことか(近代哲学の歴史的意義―ベーコン、デカルト、そして「未来の哲学」;「哲学」からみた東アジア思想;「哲学」受容がはらむ問題;「東アジア哲学」の分岐点―会通かそれとも寄与か)
第2章 京都学派が切り開いた途―哲学への貢献を目指して(「西田哲学」はなぜそう呼ばれるのか;自覚・場所・世界;場所的論理の位置づけ―哲学と仏教に対して;西田から京都学派へ)
第3章 新儒家が進んだ途―会通から見えてきたもの(中国思想の再建とは何を意味するのか;牟宗三による「中西哲学の会通」;後期牟宗三の円教論―仏教的存在論をめぐって;新儒家により拓かれた地平)
第4章 二つの途は交錯するのか―「東アジア哲学」の諸条件(京都学派に取って代わったもの;戦後京都学派の新機軸;新儒家からポスト新儒家へ;統一理論の可能性)
著者等紹介
朝倉友海[アサクラトモミ]
1975年京都市生まれ。京都大学理学部卒、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程(哲学)修了、博士(文学)。現在、北海道教育大学准教授。専門は哲学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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