内容説明
歌舞伎界の至宝・中村雀右衛門。現在最高の女形として文化勲章を受章した名優だが、意外なことに女形の道を歩き始めたのは二七歳と遅い。スタートのハンデを背負い、六十歳にならないとものにならないと言われながら、どんな工夫を重ね、芸を磨いてきたのか。戦争で死を身近に感じ、歌舞伎界追放の危機を乗り越え、人間国宝となった今も芸への精進を怠らない。役者人生を振り返り、芸から学んだ人生の知恵を披露する。
目次
第1章 女形というお仕事
第2章 歌舞伎役者と戦争
第3章 戦後、混乱期のなかで
第4章 歌舞伎界追放の危機
第5章 豊かで幸せだった子供時代
終章 そしてまた、限りのない芸の道へ
著者等紹介
中村雀右衛門[ナカムラジャクエモン]
女形歌舞伎役者。大正9(1920)年、東京生まれ。父は6代目大谷友右衛門。昭和2年、市村座で大谷広太郎を名乗り初舞台。昭和15年出征。6年間の軍隊生活を経て復員。昭和22年、女形として再スタート。昭和23年、7代目大谷友右衛門襲名。昭和25年、映画デビュー。昭和39年、4代目中村雀右衛門襲名。平成3年、重要無形文化財(人間国宝)に指定される。平成16年、文化勲章受章
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感想・レビュー
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こまったまこ
4
戦時中、歌舞伎役者の人達は戦地に行ったのか気になって手に取りました。歌舞伎役者と言えども等しく赤紙が来る訳ですが、奥の手を使って徴兵を免れた人はいたそうです。雀右衛門さんは20歳で召集され26歳までの6年間、南方の戦地にいました。その頃珍しい運転免許を持っていたため、前線の後について負傷兵をトラックに乗せ、野戦病院まで運ぶのが任務でした。お陰で前線に出て戦うことはなかったそうです。戦時中は個人の意志など無いも同然だったので、現在自分の努力によって生きていけることがすばらしいという言葉が印象的でした。2015/06/09
クリイロエビチャ
2
歌右衛門との微妙な関係も、この年になれば素直に語れるようになるのか。丈が亡くなる数年前に病室へ教えを受けに行ったとあってびっくりした。お互い70代後半から80歳になろうという年齢。そんな年齢になっても、教えを受けにいく雀右衛門さんも凄いし指導する歌右衛門さんも凄まじい。苦労をしてきた雀右衛門さん、6年も戦争に行ってたこと。契約に縛られて映画に出続けたこと、歌舞伎のメインストリームから外れてしまったこと。どれも率直に語っていて、見栄や誇張が感じられない。役者の半生記としては異質な内容だった。素晴らしい。2014/06/01
yasudrlib
1
当代五代目雀右衛門丈が好きな私にとり、どなたの評価も非常に高い先代雀右衛門丈の足取りを知りたくなり手に取りました。 やはりかなりのご苦労がわかりますし、身を置く世界は違いますが根本に違いはないと思わされ励まされた気分です。 一時の羽振りや周りに影響されることなく自分を持つこと、自分を信じることが非常に大切だと感じました。2017/02/05
K
1
訃報を聞いて読み返した。まえがきにこんな一節がある。 「昨日より今日、今日よりは明日と、何かに向けて精進している方に、また足踏みしているような焦りを感じている人に、わたしの話がいくらかでもお役に立てればと」 高みにいる人ほど、才能もあるかもしれないけれど、精進もしている。 自分はまだまだだと思えば、完璧になんぞできるはずもないのだと、少し気が楽にもなるし、もう少し頑張ってみようという気持ちもわいてきます。2012/02/26
窓猫
0
人柄のすばらしさ、芸道精進の一途さは伝わってくる。けれど、戦争中以外の苦労についてはあまりあからさまには記されていない。人を傷つけることをおそれたのだろうか。「死んだつもりで生きている」という副題から察せられる以上のものはなかった。作家ではなく役者なのだから、当然のことなのかもしれない。2017/04/28
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