ためらいの看護―臨床日誌から

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  • サイズ B6判/ページ数 240p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784000237697
  • NDC分類 498.14
  • Cコード C0012

内容説明

どう手を差し伸べれば、関わればよいのだろう。看護には揺るぎない根拠も、決まった方法もない。医療者・治療者である以前に、関係の当事者として、人に寄り添い、かすかな声や身じろぎの意味を聴き落とさぬよう、目的も方法も捨てて、「ためらい」つつ、傍らにいつづけること…。関わり合う現場で、ほかの誰でもない「その人」の生から学んだこと、そこにこそ、愛や人の尊厳について考えるヒントがあり、実践にホントウに役立つ指針、「そんなときの助け」がある。

目次

1 病の意味を見いだす(「信なき理解」から「ためらいの看護」へ;食と生きざま;生きる技術・生かす技術)
2 パッチングケアの方へ(臨床看護の現場から;ケアの弾性―認知症老人ケアの視点)
3 人に寄り添うということ(臨床テツガク講座;隠すプライバシーで露わとなること;鬱の攻撃性 ほか)

著者等紹介

西川勝[ニシカワマサル]
1957年生まれ。看護師。臨床哲学専攻。大阪大学コミュニケーションデザイン・センター特任准教授。京都市長寿すこやかセンター研究員。精神科病棟での見習い看護師を皮切りに、人工血液透析、老人介護施設へと職場を移しつつ、二十数年にわたって臨床の現場での経験を積む。一方、関西大学の二部にて哲学を学び、その後大阪大学大学院文学研究科に社会人入試を経て入学、臨床哲学を専攻する。九鬼周造の哲学と自らのケア論を織りまぜた論文『ケアの弾性』によって修士号を取得する。看護の実際に即したエッセイ、ケアのあり方をめぐる哲学的考察など、旺盛な執筆活動を続けている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

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Yoko

12
朝日新聞朝刊の「折々のことば」欄で見かけた著者のことばが、その時仕事で直面する様々をすんなり言い当てていることに驚き、助けられたことがきっかけでいつかその著作を読んでみたいと思っていました。鷲田清一先生と臨床哲学なるものを共に立ち上げた人。これは10年前の出版ですが、全編が今の私に対する示唆に満ち、つまりそれは専門職として人に相対することの普遍的な意味なのだと思い至った。でもちょっと哲学ってズルいなって。〜でなくてはならないという現代社会とテツガク的思索の間でしばし漂 う私です。2016/06/29

aof

2
ケアとはなにか。役割を通じて、人と関わるとはどういうことなのか。 境界線をふらふらしながら、ためらう感覚はすごく今の自分の感覚に通じるものがある。 わからないこととわからないままに対峙するのは、体力のいることだけど、理解したつもりになって、対象化して分断していくことは、最終的に自分を貧しくしていくような、地に足がつかないしんどさを積み重ねるような気がしていて、やっぱり私はわからないところに居たいなぁと思う。2019/06/09

丸坊主

2
久々に目を通したら、以前とは違う感じ方をしていました。 利用者さんのわからなさにこそつきあう、ということの難しさや負荷の高さを知ってしまい、素直に『ためらう』ことを選べなくなっています。今の私には引用されている中井久夫氏の『深いところのまともさを信じる』『信じられなければ念じる』のほうが腹に落ちます。 わからないものをわからないまま取っておく、そんな忍耐力が無くなったのかもしれません。2015/08/24

チェリ

2
タイトルに「看護」とあるが、介護に従事している者にも勧めたい書。私も、対人援助は哲学的だと思っていたので頷きながら読んでいった。また読みたい2010/10/30

ケロ子

2
精神科に入院している人も、認知症の老人もあたり前だけど、今この時を生きている。時には「祈る」ように、生きている。2010/10/29

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