内容説明
二人で182歳の頂上対談ついに実現!日本を代表する二大長老が初めて語り合った「命の使い方」の極意。
目次
第1章 「本分」をもって生きるということ(三〇年前の印象的な出会いの時、ドクター日野原がおっしゃったクスリになる言葉;社会が豊かになり、人が贅沢になったのと引き換えに、見失ってしまった大切なこと ほか)
第2章 日本人の大きな忘れ物(成績よりも人づくり。陸軍幼年学校で人間としていちばん大切なものを教えられた;生涯を愛と夢に生き、理解されないなかでも信念を貫いた父に教えられたこと ほか)
第3章 逆境は乗り越えるためにある(人生に障害はつきものだが、長く生きていれば必ず逆転のチャンスが訪れる;「ニンジン泥棒」と「みかん交渉」―極限になると人間は裸になってしまう ほか)
第4章 命の使い方を考えて深く生きる(人間の価値は階級や肩書きではなく、その人の愛情の深さで決まるもの;死の床にあった“地獄谷病院”で回復を心から願ってくれたロシア人女性がいた ほか)
第5章 いくつになっても勇気とロマンを(生き方に感銘を受けた人を見習って、人生のモデルを決めよう;人生のモデルになりそうな人を探して本を読んでみると、読書が楽しくなる ほか)
著者等紹介
日野原重明[ヒノハラシゲアキ]
1911(明治44)年10月4日山口県生まれ。京都第三高等学校から京都帝国大学医学部に入学。22歳の時、結核で1年間の闘病生活。医学部卒業後、同大大学院で心臓学専攻、博士課程。1941年聖路加国際病院の内科医となり、内科医長、院長代理、院長を経て、現在、聖路加国際病院理事長・同名誉院長、聖路加看護大学理事長・同名誉学長、(財)ライフプランニング・センター理事長。終末期医療の普及、医学・看護教育にも尽力。「生活習慣病」という言葉を生み出し定着させるなど、「患者参加の医療」を目指して、つねに医療の最前線で時代をリードしてきた。現在も現役医師として活躍するほか、最近は、75歳以上の健やかな「新老人の会」を提唱し、同会会長を務める
瀬島龍三[セジマリュウゾウ]
1911(明治44)年12月9日富山県小矢部市生まれ。’32年に陸軍士官学校、’38年に陸軍大学を首席で卒業。’39年、大本営参謀部員となり、その後関東軍参謀に転じる。’45年敗戦後、満州でソ連軍の捕虜となり、シベリアに抑留される。11年後の’56年に帰国。’58年伊藤忠商事に入社。航空機部次長、同部長、機械第3部長を経て、’61年経営戦略本部ともいうべき業務本部長に起用され、総合商社への脱皮を図る伊藤忠の近代化に手腕を発揮した。’62年取締役、’63年常務、’68年専務、’72年副社長、’77年副会長を経て、’78年会長となる。’81年に中曾根康弘から臨時行政調査会委員の就任要請を受け、3月第2次臨調委員となり、伊藤忠は相談役に。’87年特別顧問。2000年退任。現在も80以上の肩書きを持つ
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感想・レビュー
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Miyoshi Hirotaka
緑のたぬき