内容説明
マリー(ミッシー)・ヴァシルチコフは1917年、ペテルブルグに生まれた。1919年、一家は亡命し、ミッシーはフランスで教育を受ける。1940年1月、次姉タチアーナとともにベルリンに移住。数カ国語に堪能なミッシーは、ドイツ国籍ではないにもかかわらず、外務省情報局に勤務し、そこで反ナチ・グループの中枢と親交を持つ。毎日、几帳面にその日の出来事を日記につけていたミッシーは、間近に目撃した1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件とそれに続く粛清の日々を、克明に記録した。彼女の親友、同僚がつぎつぎと処刑された。粛清の手が自分にも伸びてきそうな危険を感じたミッシーは、ウィーンに逃がれ、空軍病院の看護婦になる。ウィーン陥落までのすさまじい爆撃の記述は、生々しい。有能な上に、ベルリン有数の美女だったミッシーの交友は広く、ビスマルク家で食卓を囲むフルトヴェングラー、夜中の空襲で裸足で逃げ出すカラヤンなどの素顔も活写されている。この日記は、発売後、たちまち8カ国語に訳され、世界的ベストセラーになった。
目次
1940年1月―12月
1941年1月―6月
1941年7月から1943年までの出来事
1943年7月―12月
1944年1月―7月18日
1944年7月19日―9月
1945年1月―9月
感想・レビュー
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印度 洋一郎
4
ロシア革命で、ドイツに亡命してきた元貴族の白系ロシア人女性が、1940年から1946年までの戦中~戦後にかけての日記で構成。戦時下のドイツの国民生活の一端や、衰退しつつあった貴族社会の様相がわかる貴重な一冊。途中で散逸してしまった時期もあり、その辺りは現存する手紙や後年の回想で補完している。当時のアッパーな階層の人の例に漏れず、ナチス嫌いで、とうとうヒトラー暗殺計画にも関わるが、末端なので逮捕される事も無く、末期的なドイツを記録した。随所に、「ナチは貴族を差別している」と恨み節がもれるのが興味深い。2015/12/08