内容説明
勝利主義、ヒロイズム、ナショナリズムに傾く近代スポーツの非人間化を考える。審判とルールの変容の歴史。
目次
序 近代スポーツにおける自然と人工
1 審判(機械化;競戯から競技へ;権威の上昇;勝敗主義;独善性の価値)
2 ルール違反(「悪」のすすめ;場外の違反;平等の無視;清神の加工)
3 人間像(「やさしい」スポーツ;手段論;定期戦再考)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
山口透析鉄
26
市の図書館本を借りました。スポーツがどう受容されてきたか、日本の問題点等も率直に出ていて、30年以上も前の本ではありますが、ことの本質は今でもさほど変わっていないと思う部分も多々ありました。 上位下達と絶対服従、勝利至上主義では教育的な効果など期待する方がどうかしています。高校野球のあり方にも一石を投じていて、甲子園懇親会みたいなことも出来ぬものか?というのが出てきますが、高野連とかとはまた別の組織がリーグ戦主体の運営をしているケース等、広尾晃氏の記事も思い出しますので、変わってきてはいるのでしょう。↓↓2023/10/08
印度 洋一郎
5
スポーツのルールとは、そのスポーツの持つ価値観や文化の反映。アメフトは誤審の危険性を少なくするために審判を増やし、社交文化だったラグビーは誤審にも鷹揚などの違いがある。やる方も見る方も一々気にはしないが、ルールは「このスポーツはこういう風であるべき」という意思が働いている。又、著者はオリンピックでタイムを競う事の是非について、「人間の肉体に限界がある以上、いずれ人類最後のタイムが出る日が来る」と書いている。千分の一秒を競ったりするのは、それを避けるためなのかもしれない。2016/06/25
きぬりん
1
近代スポーツの諸傾向、すなわち誤審に対する不寛容と審判の権威の低下、創造的なルール違反の余地を許さない形式主義的スポーツ風土、スポーツの人格形成機能を否定しただの遊び、私事としか見なさないスポーツ文化の貧困などを慨嘆し、スポーツにおける人間性や自由の喪失を懸念する。近代化以前のスポーツについての歴史的記述から説き起こされることが多いのでその部分は面白く読めるが、スポーツの近代化の一側面=勝利至上主義の跋扈を諸悪の根源と捉え、そのよい側面を拾い上げようとはしないため、ただのアナクロに映じてしまうのが残念。2025/08/12
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