学習上の暗記術ではなく、「記憶術」という技法があったことを最初に教えてくれたのは荒俣宏だった。「記憶術の発見については、じつに感動的な逸話がある。ギリシャの抒情詩人シモニデスは・・」(『本読みまぼろし堂目録』工作舎)を読んだ時だ。(2006年3月) このエピソードは、この『記憶術全史』の冒頭でも、シモニーデースという表記で引用されている。この件で、この話をどこかで読んだことを思い出したが、出典へ苦も無く遡及できたのは、学生時代から蓄積している「索引データベース」のおかげである。 PCを購入してから表計算ソフトを使っているが、最初はカードへの記入に頼っていた。紀田順一郎の『現代読書の技術』(柏書房)で紹介されていた当時の研究者の常手段をまねたのである。 本書の最終章では、カードによる分類が、最後の「記憶術」であったとの記述があり、若かりし頃の読書生活を回顧する機会にもなった。 2018年の刊行時に店頭で手に取ったが買い損ねていた。イエイツの のThe Art of Memory(コメント参照)を購入するにあたり、ウェブ紀伊國屋で買い求めたものだ。 忘れ去られていたヨーロッパの「記憶術」を蘇らせたイエイツの論述を補完し拡充する内容で、大変に有意義な読書になった。 単なる暗記ではなく、建築、宗教、文学、造園、哲学、科学等も包含するような膨大な知識の貯蔵庫を脳内に構築する術が、印刷術の普及とともに考案され、実践されていたことがよく分かった。 デジタルで変容する記憶(The Internet is Not the Answer, Andrew Keen)を実感しながらも、この夏休みで予定している書棚の整理の際には、記憶としての読書を意識して、場所を意識しながら配架をしようと思っている。 一冊、一冊がマドレーヌになる。(『失われた時をもとめて』第一巻)