表題に惹かれた。数学者が書いた本には思えない詩的表現だ。「芥川(龍之介)に、その激しい決意の表現をかりた」と著者は冒頭に書いている。「紫」は日本的感性の色(荒俣宏『文明移動説』集英社)。「火花」という現象については、本書でも言及されているポアンカレが「研究者からあまりかえりみられなかった」(『科学と仮説』岩波文庫)と述べていたことを思い出した。心の色と閃きが一緒になり、日本人の心情と科学者の探求心の融合を表現しているように感じた。作者がこの題名に決めたのはそれが醸し出す雰囲気からだろう。 著者は、フランス留学の成果によって海外でも有名になった数学者。本書では、祖父になった筆者が、日本人としての子育て、教育、ものの見方等を、俳諧と仏教をとおし、熱心に述べている。数学の学習法への助言を求めて手にとったが、説かれていたのは、「情緒」を重んじる俳諧の意義と心理を求める仏の道の奥深さだ。日本人として、忘れてはいけない心情と姿勢を改めて諭された。 数学への助言がなかったわけではない。「数学がむつかしい理由の一つは、知識を情緒化するのが容易でない点にある」(p116)との指摘には鼓舞された。これを契機に、苦手な数学を一気に得意分野へと引き込めそうだと心が騒ぎ始めた。手始めに、紹介されたThe Common Sense of the Exact Sciencesが紀伊國屋ウェブストアで発注可能だと分かったので、「ほしいものリスト」に入れておいた。著者が中学3年生で読んだというクリフォードの『数学釈義』の原著である。年内に読めれば、来年は違った世界が見えてくるような気がしている。 触れるのに躊躇する数学という熱い「火花」を「紫」という日本的な感性で見つめれば、その奥にある理解へと辿り着くのだろう。見方を変えれば、「俳諧」も数学だったのだ。