内容説明
現に私が私であることが無根拠なら、急に違う人が私になることもできそうだが、そこに客観的世界を構成する力との競い合いが始まる。カントも知らない二律背反に導く一冊。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
ころこ
36
「言語とは、何かを伝えようとする側とそれが伝わる側とのあいだに、どちら側から見ても同一の事柄があるという前提のもとではじめて成立する伝達の方法だからである。すなはち、それは、一つの客観的世界というものがあって、すべてがその一つの共通世界に収まるという前提のもとで成立する仕組みなのであって、逆にいえば、その仕組みこそがそのわれわれの世界をはじめて創り出している、」伝えようとする概念が言語を発した瞬間、そこからすり抜けていくために、また同じことを挑んでみる必要がある。問題は、概念があり、その概念を言語で伝える2022/10/29
テツ
13
永井先生が仰っていた「哲学は祈りを拒否する祈り」「それでもそこ(哲学)には究極的には一種の信仰があるからだ」という意味が何となく理解できた(と錯覚できた)気がする。ライフワークでありおそらく死ぬまで追い続けるのであろう永井哲学の原点であり決して至れない〈私〉についての諸々。その周囲を探りながらあくまでも理詰めで論理的に考え続けるという姿勢を放棄しない姿には信仰に基づく祈りの香りがする。妥協せず逃避せず哲学し続ける在り方への信仰。哲学書を流し読みし考えている気分に浸るぼくらには手の届かない人生の構築。2023/08/01
ユ-スケ
2
今回も議論についていくのがたいへんにハード いや、ほとんどついていけていないのかもしれない・・ ただ、永井さんがテーマにしている〈私〉とは、それを「私」と呼んでしまった時点からなにか根本的に本質的な部分が変化してしまったのだろうなあ それはいつのことだったのか、どうしてそんなことが起こったのか、自分なりに考えてみたいと思った次第 あるものが言語化されるとそれが別次元のもののようになってしまうというのは不思議かつ、この世のカラクリでもあるような気がする2025/03/08




