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内容説明
総力戦の時代、日本にどんな選択があったか
昭和史に新たな光をあてる!
昭和10年、人事抗争の末、陸軍省内で殺害された陸軍の最高頭脳、永田鉄山。彼が挑んだのは「国を守るための戦争か、戦争のための国家か?」という総力戦のパラドックスだった。その永田の国家総動員体制論と、国家観として、正面からぶつかったのが美濃部達吉「天皇機関説」であった。
トランプの関税外交ひとつとっても、国家と国家が、経済、政治、外交など
総力でぶつかり合う「総力戦」は、実は現代の世界にも通じる難問にほかならない。総力戦の時代、日本にどのような選択があり得るのか?
〈ひとたび総力戦が開始されると、国家の存続、国民の安全のためには、その国の軍事、経済、政治、社会生活、文化などのすべてを動員して戦わなければならない。これが「総力戦」の出発点のはずである。ところが、総力戦を前提とすると、「国民と国家を守るための戦争」であるはずのものが、「戦争のための国家」へと反転してしまう。それは、「国家総力戦」自体がもつ不条理の反映でもあった。国家の全てを賭けて戦わなければ生き残れない、という過酷な現実にいかに対応するか、という難問が、永田のテーマだった。〉(「はじめに」より)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
パトラッシュ
139
永田鉄山の総力戦論とは、日本を戦争のための国家に改造するのが目標だったようだ。第一次大戦後の戦争は国力を総動員せねば勝てないと確信し、政治経済まで軍が統制し次の大戦に備える国策をと考えた結果だろう。「軍の平時の仕事は教育」と語った永田は国民を軍の主張に同調させる国体教育を重視し、障害となる天皇機関説を排撃した。しかし軍人の永田には戦勝以上の目標を提示できず、産業の発展や戦争防止外交など考えもしなかった。そこで永田自身が殺され、指導者を失った陸軍は明確な国家目標もないまま日中戦争の泥沼にはまっていったのだ。2026/01/25
skunk_c
64
永田鉄山が「統制派」のある種「総帥」的な存在で、革新官僚等との連携で「総力戦体制」を作ろうとしていたことは知っていた。本書は永田がそうした考えを持つようになった第1次大戦の欧州戦線から学んだことの中のジレンマを指摘する。分隊単位の戦闘では個々の兵が命令ではなく自己判断で行動する必要があり、そのためには「自分で判断する」能力が必要と考えていた。一方総力戦体制において資源に劣る日本は、大陸の資源をあてにしながら国内の総動員体制を固める必要があり、それが『国防の本義』に繋がるが、後者は結局徹底的な皇民化となる。2026/01/07
CTC
8
25年文春新書、著者は『昭和陸軍の軌跡』の名大名誉教授。永田鉄山はWWⅠをつぶさに視て、他国の援助さえあれば弱体な国家でも強力な交戦力を発揮できること、リソース集中と火器充実が実現したこれからの戦争では極めて希薄な隊形で戦闘が行われる=「自主独往」の判断力が問われること、などを見抜いた上で、総力戦体制構築を指向する。その構想の全体と曲がりなりに実現したかに見える本邦の国家総力戦体制では何が違ったのか、を、特に“天皇機関説事件”と絡めて確認するもの。その時何があったのか、歴史の因果が見えてくる一冊。2026/02/03
広瀬研究会
6
国家総力戦体制の構築に心血を注いだ永田鉄山。その理論がカバーする分野は軍事のみならず、経済、技術、生産力、資源の確保、国民性、思想、教育まで幅広い。その構想をもって国政を動かそうとする陸軍に対し、政治家は確固たる政策を持たず、対抗することができなかった。軍部が戦争に備えるための資源確保に乗り出したことが、かえって日中戦争、太平洋戦争を引き起こす結果となってしまった。このパラドックスは、もし永田が凶刃に斃れていなかったら防ぐことができたのだろうか。2026/03/14
Yasuhiko
3
永田鉄山は第一次世界大戦を機に、次の戦争が総力戦になることを確信し、そのための国家体制の整備に心血を注いだ。 しかしそこには、「国民と国家を守るための戦争」が「戦争をするための国家」に反転してしまうジレンマがあった。 陸軍内の統制派と皇道派の派閥争いの末、鉄山は陸軍省内で惨殺される。その後の二・二六事件で皇道派は一掃され、日本は戦争への道を突き進む。果たして鉄山は、そこまで予見していたのだろうか。2026/03/04




