内容説明
カントの『純粋理性批判』を引用し、それにコメントしていく形でカントの画期的な素晴らしさを示しつつも、永井哲学の独在論からその議論の不適切さや難点を指摘する。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
しんすけ
19
愉快な本ともいえる。著者はカントを少しコケにしているのでは… なんて気持ちにさせてくれる。 著者はカントから多大なものを取得しているし、敬愛も深いものがある。 しかしところどこに、「カントはほんとうは判ってなかったんじゃない」って言う言葉が飛び出してくる。 引用個所のアカデミー版ページを手繰って、作品社などの『純粋理性批判』を読むと、なるほどなって気持ちになったり、ならなかったり… ディレッタントとしての愉しい一時を、過ごさせてくれることは確実な本である。2025/05/24
kumoi
2
デカルトは表象があることを以て私の存在だけは疑えないとした。しかし昨日の私と現在の私が同じ私であることを表象だけでは確定できない。瞬間的な私が絶えず消滅と生成を繰りているだけの可能性があり得るからだ。カントは持続性を考慮に入れた場合、私と世界の存在を同時に確かめられると言った。この主張を本書では超越論的統覚と呼んでいる。物自体を認識することは不可能でも、主観と客観は対応しうるのだと解釈した。著者は「私」の特別性(独在論)にこだわりを持っているようだが、そのような問題意識を持つ意味を理解できなかった。2025/06/15
kentaro mori
2
⚫︎私の素朴な実感を語るなら、否定というものが登場したとたんに、世界把握の覇権が世界そのものの側から知性を持つ主体の側に移る。なぜなら、物やその属性の種類の複合も、同種のものの複数性も、もともとからわれわれのこの世界にたまたま存在していた事柄だといえるが、その世界そのものには否定など存在していなかったはずだからである。それは、文字どおりこちらから持ち込まれた「世界把握の仕方」であり、おそらくはこれこそが言語的世界把握の核であるといえるだろう。⚫︎総合を意識するときに初めて「私は考える」が成り立つのである。2025/05/30