内容説明
哲学者・木田元の生前最後の著書。
「技術の正体」「春の旅立ち『風の色』」「ふたたび廃墟に立って」の3作とそれぞれの英訳を収める。
「技術の正体」は、技術についての「われわれの思い違い」を考察したエッセイ。
《人間の理性が技術を作ったというのは実は間違いで、技術というものは理性よりももっと古い起源をもつ。したがって、人間が理性によって技術をコントロールできるというのはとんだ思いあがりではないか》「はじめに」より
「春の旅立ち『風の色』」と「ふたたび廃墟に立って」は、東日本大震災後、若者たちに向けて書かれたエール。
《新京駅には同行八人分の家族や友人たちが見送りにきてくれていた。そのとき別に私は、四か月後に起こるソ連軍の侵攻や祖国の敗戦、戦後そこに残った者たちを襲う過酷な運命などを予感していたわけではないのに、自分が生きてふたたびこの街に帰ってくることはないだろうと妙に強く確信し、ある後ろめたさを感じていた。あの戦局では、むしろ軍籍に入る私の戦死する公算のほうがはるかに高かったのだが、それでも自分は安全地帯に逃げ出そうとしているとどこかだ思っていたのだろうか》「春の旅立ち『風の色』」より
《あのころ、これ以上ないほど貧しかったが、なにも欲しくなかった。廃墟に立って、ただ自分が何者なのかを見きわめたいとだけ、烈しく思っていたことを覚えている》「ふたたび廃墟に立って」より
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
Don2
11
著名な哲学者による著。人間は技術を作るのではなく技術が人間を飲み込んでいくのだ、という世界観の紹介。ほかの方も言及されているが、技術の自己運動を扱う意味でテクニウムと問題意識は共通。サピエンス全史の議論の一部とも共通するかも。技術が人間を呑む結果、技術は制御不能となり、自己崩壊を起こすべく運命づけられている。その一つの帰結が原発問題とされる。より現代的な問題としてはAI自律兵器や個別マーケがあるのだろう。LLM出現を背景にAI規制の議論が過熱するにつけ、考え方自体は意外と現代では一般的なものと言えるかも。2024/04/13
Harada Hiroyuki
6
東日本大震災から7年と半年が過ぎた今でも、そしてこれからも、繰り返し読まれるべき小冊子だ。左ページに木田元氏の日本語が、右ページにエメリック氏の英語が配置されている。日本語と英語の両方の言語で通読できる仕組みだ。読書家や日本の英語学習者だけでなく、海外の読者にも広く読んでもらいたいとの意図が、強く伝わってくる。2018/11/12
日輪
6
『反哲学入門』の後に読むといいかも。一般論では理性によって技術が生まれると考えられがちだが、実際はその逆で技術の方が古い起源をもち、肥大化した現代の技術(や資本)は自己運動(制御できず暴走)するものと捉える。超自然的原理の否定によって「作為」を批判しているように見える。しかし「自然」に回帰せよとまでは言わない。廃墟に始まり廃墟に終わった木田さん、亡くなった事が悔やまれる。あと対訳の英語が面白い。辞書や文法書じゃ巡り合わないような、結構いい英文を読める。マイケル・エメリック、覚えておこう。2016/04/07
袖崎いたる
2
東日本大震災の後の世界にと刊行された時代の雰囲気があるが、本書に漂うものは木田元という一人の人間の時代の雰囲気というか、なんなら追悼の気配といったほうが適当なそれがある。内容は哲学的というよりかはエッセイとしての味わいが大きい。入学試験にしばしば使われたという文章がタイトルになっているやつ。ハイデガーが予感していた技術のヤバさを自覚しましょうよマジで、そんな調子だ。最初、マイケル・エメリックの文章を木田元が訳しているのかと思って手に取ったが、逆だったわい。木田元の青春の風景も抒情的に書かれていて感動的。2024/08/11
doji
2
技術がそれ自体の自律性をもって人間を呑み込んでいく、という考え方は、ケビン・ケリーのテクニウムや「我々は人間なのか?」にも通じるような考え方だなと思う。技術とデザインについて考えることはよくあったけれど、その前にある科学と技術についての記述が気になったので、そうだよな、科学についても考えないとなと思った。2021/02/13




