内容説明
誰かを好きになる。これは能動か受動か。好きになろうとしたのでもなければ、好きになるよう強いられたのでもない。自分で「する」と人に「される」しか認めない言葉は、こんなありふれた日常事を説明することすらできない。その外部を探求すべく、著者は歴史からひっそりと姿を消した“中動態”に注目する。人間の不自由さを見つめ、本当の自由を求める哲学書。時代を画する責任論を新たに収録。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
KAZOO
95
國分先生の本を何冊か読んできて、新潮文庫で新刊が出たということで手に取ってみました。文庫なのでさらっと読めると思いましたが、全然歯が立ちませんでした。中動態という能動態と受動態の中間にある概念はわかりましたが、それに関するものがどのように石などにかかわってくるかなどは皆目理解できません。今読んでいる世界哲学史をすべて読んでから再読しなければという感じです(それでも理解できるかどうか)。2025/05/05
ケイティ
34
行動の主体は能動・受動で捉えられるが、もともとは中動態と能動態が相対していた。能動は動詞が主語から出発して主語の外で完遂する過程、中動は主語が過程の内部にあり、その状態が留まっている。ここに意志が絡むと、例えばカツアゲや権力行使にさらされた場合の行動主体の意志は、自発的で責任があるのか。言語の歴史やアレントの主張、スピノザなど哲学における中動を考察。難解な内容だが文章は読みやすく、自分なりにじっくり分解して読みほどく醍醐味もあった。言語と思考はセットであり、世界に中動態の概念、存在の認識は必要だと感じた。2026/02/25
ta_chanko
22
能動態と受動態は相反する態度ではなく、グラデーション状につながった程度の強弱の問題。人間の思考や行動は完全に能動的(主体的)であることはほとんどなく、少なからず何らかの影響を受けているもの。つまりは「中動態」的なもの。完全な能動態があるとすれば、それは「神」の作用のみ。であるならば、意志や責任の所在も怪しくなってくる。例えば、アルコールや薬物の依存症のように。おそらく近代に入り「神」の存在が薄れ、「理性」を絶対視する時代になってきたがゆえに、前近代には普通に存在していた「中動態」が失われたのではないか。2025/09/13
タカナとダイアローグ
18
重要だと思うほど読み出しに苦心し、やっと読み終えた(文庫本を買って) 巻末にある、「責任」についてが染みている。レスポンシビリティーは応答可能性。応答=責任ではない。一般に流布している責任は、インピュート=帰責性も含んじゃってる。(気づいた人がやっといて的な)本題、中動態においては「やらざるを得ないこと」があり、それは意思なのか?という問い。自由な選択肢がある状況の方が稀有で、だいたいは抗えない運命みたいなものだと思う。能動は行為、受動は経験を指すのではないかとか、文法から哲学する姿勢は本当にすごい。2025/08/31
練りようかん
15
中動態とは何なのかに興味を抱いた。〈ある対話〉がとても身に覚えのあるもので導入は滑らか、意思と責任や言語と思考の卵が先か鶏が先かと思うあやふやさで引き込まれた。しているともさせられているとも言えない状況を、殆どの人が意識せず乱暴に区別しているのか。古代ギリシアや哲学者たちの文法研究を取り上げ、ヒントになる面と違和感を覚える面を率直に書いていて面白い。時制・完了の密接な関係が興味深く、メルヴィルの小説“受難”は例えとして上手く最も大きな分かるに襲われた。自己責任論の底にあるものをもっと考えねばと思った。2025/09/14
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