内容説明
安倍政権以降、「学力向上」や「愛国」の名の下に政治が教育に介入し始めている。その結果、教育現場は萎縮し、教育のマニュアル化と公教育の市場化が進んだ。学校はサービス業化、教員は「使い捨て労働者」と化し、コロナ禍で公教育の民営化も加速した。日本の教育はこの先どうなってしまうのか? その答えは、米国の歴史にある。『崩壊するアメリカの公教育』で新自由主義に侵された米国の教育教育「改革」の惨状を告発した著者が、米国に追随する日本の教育政策の誤りを指摘し、あるべき改革の道を提示する!
目次
第1章 「お客様を教育しなければならない」というジレンマ――新自由主義と教育
第2章 人が人でなくなっていく教育現場――教育の働き方改革の矛盾
第3章 新自由主義時代の「富国強兵」教育と公教育の市場化――政治による教育の「不当な支配」
第4章 「自由」の中で不自由な子どもたち――コロナ禍が映し出した教育の闇と光
第5章 「教師というしごとが私を去っていった」――教育現場における「構想」と「実行」の分離
第6章 「遊び」のないところから新しい世界は生まれない
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
まーくん
84
自分自身が学校教育を終えて既に半世紀以上。下の娘が義務教育を終えてからでも20年以上。現在の学校事情は伝聞で断片的に聞くだけで実態はよく分からない。 著者は米国の高校へ留学、そのまま米国で大学・大学院を修了、2002年から7年間、千葉市の公立中学校で教師経験あり。(オヤッ?娘の中学時代と重なる2002~05年、千葉市立**中)その後再渡米、N.Y.ハーレムに住み、博士課程で学ぶ。その際、娘さんは貧困地域にある地元公立小に通う。そこで見た米国の新自由主義教育「改革」による公教育の崩壊の実体を⇒2025/05/11
あみやけ
48
現場にいるからよくわかるし、共感することもたくさんありました。ただ、少し思想性が強く観念的だなと思ったら、そういう方か。僕らの世代には珍しいですね。僕は学生時代に太田堯さんも読みましたが珍しいと思います。ただ、やっぱり違うかと。授業をするだけなら学校が塾と変わらないなんて言ったら、学校の敗北です。学校は塾とは違う真の学びがある場にしないと。科学技術の発展も否定しないで、うまく使う方法を考えないと。感覚だけじゃ真実は見つかりません。自分自身も学ぶということの本質をもう一度問い直したいです。2025/03/02
Kーazuki
47
筆者の考えは同意するところもあったりなかったりします。教育の現場に立つ人のとって同じ思いの部分が多かったように思います。今の学校教育は、学校改革とか戦略とか流行りの言葉が会議でも出てきますが、個のゴールは様々で複雑な状況の中では、難しい時代になっていると感じています。本書は、そう言った意味では、そうだなーと頷ける事が多かったです。ただ、それを現場でどう改善していくかは分かりません。教師としてどうすべきかはまだまだ悩む事が多いのでしょうね。でもこの本を読んでヒントは掴めた気がしました。2025/11/16
まこみや
43
「教育は等価交換ではない」と諏訪哲二は言った。学ぶ側が「それは何の役に立つのか」と問うことは、自ら学びの機会を構造的に奪われた人間になることだ、と述べるのは内田樹である。どちらも著者の「教育は資本主義の価値観とは相容れない」という考え方と軌を一にする。教育とは農業と同じで、種から作物への成育を見守るものだと鈴木は言う。彼の説く教育観はいちいちもっともで深く頷くしかないものだ。しかし長く教員として携わってきた者として、彼が終章で述べる希望は根拠の薄い楽観論に思えて仕方がない。2025/05/17
たまきら
42
教育って、こんなに先生や生徒を苦しめるものであっていいのだろうか。そう思ったことがある。私が子どもの頃、教育はサービス業ではなかった。たいていの場合先生は尊敬されており、体罰すら容認されていた。けれどもあの頃の「先生に任せておけば考えないでいい」という依存感情が、21世紀のこの状況を生んだ気がする。現場で人が人でなくなっていく、という言葉にゾッとした。ゲームのキャラクターなんだろうか。先生や生徒がいきいきと活躍できる場所であってほしいー気持ちはみんな同じはずなんだけどなあ。2025/06/11




