内容説明
ぼくらは誰のために、何のために闘っていたのか。そして、この国は何処へ行くのだろう──。「かつてのように正義を振り翳して闘う社会よりも、電波空間のなかでの独善に溺れ、現実世界が波風の立たないことを歓迎していた。それが平和な社会なのだろうか。黎の観念が『それは違う』と憤っている。」(本文抜粋)。混乱する1960年代末、〈闘争〉に憂き身をやつした男の独白小説。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
後ろのお兄さん
3
申し訳ないけど、全共闘世代のノスタルジアしか感じなかった。彼らの特徴は若い女による自己肯定を必要とする、という点。 真里亞が姿を消したら物語は終わるんだよな、と思いながら、その通りだし。 2024/11/18
087115
3
ロスからの帰りに読了。 当時の熱量を感じます。 ちょうどこの1世代後になる私にとって全学連と全共闘の違いとか勉強になりました。我々世代はまだ余韻があってごく一部の友人は成田闘争とかに行ってました。なんとなく自分達は安保闘争などに関わり損ねた気分があったものです。バブルの弾け始めでもありました。 冷静に冷静に書き進められていますが、どうしても言い訳じみてしまう部分もあり、おそらく著者はそれを分かってながらそうせざるを得なかったんだなと思います。 これからこの時代についてどのように伝えられて行くのか?2024/10/26
mstr_kk
2
最初はあまりにナイーブで、ちゃんとした小説なのか? と疑ったけれども、不思議と、よい作品だったと思えます。本当の全共闘、ノンセクトラジカルの体験を伝えるのだという想いが、まっすぐに伝わってきます。2025/08/09
ひんしょう
0
私が大学にいた頃「あの時代の学生はベクトルを統一できなかったのが不幸だった」と言った教授がいた。団塊の世代は何に憤り、全共闘だかセクトだかに潜り込んだのか。元はといえば学内政治の腐敗、アメリカの言いなりでベトナム戦争に加担した政府が元凶。ヘルメットと頼りない角材のゲバ棒は護身のための最低限の装備であり、学生からみれば大学当局と政府のほうがはるかにルールを無視して暴力に訴えた。物語的には真里亞と黎の四畳半のロマンスをもっと深く読みたかった。2024/10/18