内容説明
絶体絶命でも捕鯨を続ける男たちの群像。
反捕鯨団体の過激な妨害活動、国際社会からの批判――日本の捕鯨は、幾度も障壁にぶつかってきた。
シー・シェパードが妨害を過激化させた2000年代後半。著者は調査捕鯨船に同行取材し、若手船員たちの情熱や葛藤を目の当たりにする。
しかし、日本が調査捕鯨で積み重ねたデータは、国際社会では認められなかった。2019年、日本はIWC(国際捕鯨委員会)を脱退し、200海里内での「商業捕鯨」に舵を切る。それは同時に、かつて船員が奮闘した「南極海」「北西太平洋」での捕鯨が終焉することを意味していた。
奇しくも2019年に亡くなった「クジラ博士」は、南極海捕鯨の終焉を誰よりも惜しみ、こう言った。
「まさに“けいげいのあぎとにかく”ですね」
けいげいとは雄クジラと雌クジラ、あぎとは鰓(エラ、アゴ)のこと。クジラに飲み込まれそうになったが、アゴに引っかかって助かった――。そんな絶体絶命な状況のなか、いかにして日本の捕鯨は続いてきたのか?
およそ15年の時を経て、著者は再び捕鯨船に乗船取材。若手から中堅になった捕鯨船員たちと、「クジラ博士」の歩みを通して、捕鯨業界の「再起への航跡」を辿る。
(底本 2024年9月発行作品)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
kinkin
93
けいげいのあぎとにかくと読むそうだ・絶体絶命や、そこに命をかける人々を表すと意味を知った。商業捕鯨がその絶体絶命の状態からなんとか這いあがろうとする様子が描かれている。世界の歴史で見れば、昔はアメリカやヨーロッパなどでは鯨油目的で乱獲していた。日本も戦後の食糧不足で乱獲の時期もあったことは確か。著者は一方的に反捕鯨の立場を非難するだけでなく、現在の状況を乗組員と一緒に捕鯨に加わって書いている。日本には、捕獲した鯨の胎児を弔っている場所もあるという。殺生に対する文化、会うことのなかった母親と海のために。2025/02/11
hitotak
9
表題は「けいげいのあぎとにかく」と読み、絶体絶命、九死に一生を得るという意味の慣用句だそう。危機に晒されているのは捕鯨そのものか。日本は2018年にIWCを脱退し、以後商業捕鯨に梶を切ったが、捕鯨会社は商売として捕鯨を成り立たせる為の様々な苦難の只中にある事がわかる。シーシェパードの言い分、調査捕鯨以前の鯨の乱獲や不正の横行等、始めて知る事も多かった。著者は捕鯨船に乗り込み、漁の現場を詳細に描写している。鯨を目で探し、追尾して銛を打ち込み、船上で捌くまでのシステマチックな過程がよくわかり、興味深かった。2025/01/12
しーたか
3
自身も捕鯨容認派なので今まで捕鯨を「誇り高く」描いた本しか読んでなく、この本もまたその系列と言っても良い。 が、母船式捕鯨は日本古来の伝統文化ではないという論や、昭和の商業捕鯨のダメだった部分を描いたりと、不必要なまでにヒロイックにはしていないところに好感。 職業観を醸成するにも良い本だとは思うが、今時の若いモンにはどうかな、、2025/01/14
おぎゃ
1
捕鯨のノンフィクション。何ヶ月も過酷な遠洋航海を続ける船員をはじめその家族、水産学者、環境保護団体など色んな立場の人の声が聞けて面白い。ただ鯨ならではの難しさはあるし、ウナギとか他の水産資源の現状見ると、ちゃんと乱獲や不正操業にならんよう日本はやってけますという信用もないよな〜2025/06/08
林芳
1
捕鯨に関係する多くの人を取材されていることで様々な立場の意見が理解出来た。ただ改めて「捕鯨の必要性とは?」と聞かれたら、納得させる説明が自分に出来るだろうかと思う。仕事に対する心意気や研究の緻密な継続性などは分かるが、肝心の必要性の部分がいつもするりと手から零れ落ちる感覚がある。感情論になるのかもしれないけれど、もし人間の肉を食べる生き物がいて、持続可能な食資源として何体までなら捕獲可能などとなったら悲しいなと思った。同じ哺乳類として見ると。2025/04/16
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