講談社選書メチエ<br> 「社会」の底には何があるか 底の抜けた国で〈私〉を生きるために

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講談社選書メチエ
「社会」の底には何があるか 底の抜けた国で〈私〉を生きるために

  • 著者名:菊谷和宏【著】
  • 価格 ¥1,705(本体¥1,550)
  • 講談社(2024/08発売)
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  • ISBN:9784065363621

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内容説明

『「社会」の誕生』(2011年)、『「社会」のない国、日本』(2015年)に続く講談社選書メチエ「社会三部作」、完結。
前著以降の約10年、日本は幾度も自然災害をこうむり、実質賃金が上がらぬまま円高から円安に移行し、物価高に苦しめられている。それに呼応して、さまざまなレベルで分断や分離が進行しているように見える。そして、著者もこの期間に人生の苦難を経験し、三部作の構想をいかに完結させるか、完結させられるかを考え続けた。
「日本ではフィクションつまり作り話が増殖し、蔓延し、しまいには事実や現実に取って代わってしまった。庶民の実態とはかけ離れた「好況」、「経済成長」、科学的事実を無視あるいは隠蔽した「安全・安心」、違法な証拠隠滅さえ厭わず明らかな嘘を押し通す国政の運営等々。あげくの果てには荒唐無稽な陰謀論の不気味な浸透……」――そんな現状認識から始める著者は、こう断じる。「今日ついに我々は、ばらばらになり、互いに共に生きられなくなっている。強者・弱者、マジョリティ・マイノリティの話だけではない。人が人として、個人が個人として生きられなくなっている。人々は分断され、「互いに同じ人間同士」であると思えなくなっている」。
それが証拠に、コロナ禍で叫ばれた「ソーシャル・ディスタンス」に、この国の人々はいとも容易に適応したではないか。では、「社会」が存在しないとは、「社会」が存在しないところで生きるとは何を意味しているのか。――この根本的な問いに答えるために、著者は「社会」を成り立たせる最も根底にあるものを問うことを決意した。前2著での議論を簡潔に振り返り、その末に到達する結論とは? 誰もが考えるべき問いを静かな感動とともに伝える完結篇にふさわしい名著。

[本書の内容]
序 章 分解する日本社会
第1章 社会の誕生、人間の誕生、社会学の誕生
一 トクヴィル──民主主義と人民
二 デュルケーム──社会学の創造
三 ベルクソン──社会的事実の基底
四 永井荷風──日本「社会」の不在
第2章 社会的生の規範性と社会学の基底
第3章 社会を成す=為す個人──デュルケーム道徳教育論
一 道徳性の第一、第二要素──規律の精神と集団への愛着
二 道徳性の第三要素──意志の自律性
三 意 志──生たる社会
第4章 合意に依らない民主主義
一 トクヴィル民主主義論の基底
二 ベルクソンの民主主義論
三 民主主義の根底
第5章 社会の根底
一 生という事実
二 賭けの網
三 生という絶対所与
四 社会と社会学の現実性=実在性
五 民主社会を生きるということ──平等と自由、意志の自律と多様性
終 章 現代日本を生きるということ

目次

はじめに
序 章 分解する日本社会
第1章 社会の誕生、人間の誕生、社会学の誕生
一 トクヴィル──民主主義(デモクラシー)と人民(プープル)
二 デュルケーム──社会学の創造
三 ベルクソン──社会的事実の基底
四 永井荷風──日本「社会」の不在
第2章 社会的生の規範性と社会学の基底
第3章 社会を成す=為す個人──デュルケーム道徳教育論
一 道徳性の第一、第二要素──規律の精神と集団への愛着
二 道徳性の第三要素──意志の自律性
三 意 志──生たる社会
第4章 合意に依らない民主主義(デモクラシー)
一 トクヴィル民主主義(デモクラシー)論の基底
二 ベルクソンの民主主義(デモクラシー)論
三 民主主義(デモクラシー)の根底
第5章 社会の根底
一 生という事実
二 賭けの網
三 生という絶対所与
四 社会と社会学の現実性=実在性(リアリティ)
五 民主社会(ソシエテ・デモクラティーク)を生きるということ──平等と自由、意志の自律と多様性
終 章 現代日本を生きるということ
おわりに

参考文献
あとがき

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

Mc6ρ助

20
難しいところをすっ飛ばして読むと、日本は明治以後も(西欧が近代以降獲得した)「社会」と「個」を持ち得なかった(そこに共感するべき他人もいない、共に生きているという自らの基盤を見失っている)、ゆえに「社会の底」が抜けてしまったという・・。人が生を生きるために、『皆で語り合い・創り合い・生かし合う「人間社会」のあまねく繰り広げられんことを。(p164)』目指すべき改善の方向は良いとして、「世界の分断」がグローバルであることを考えると日本に拘るのは正しいとは思えない。合掌。2025/01/28

まゆまゆ

14
他人に関心を向けなくなっている傾向が強まり、もはや他人を自分と同じ人間だと感じられなくなっている状況下において、社会の分断が進んでいる。社会は昔からあったものではなく、他人に殺されずに生きるうえで必要な制度だっただけのこと。つまり社会の底には人間の生がある。他者とともに生きているという共通認識を見失った現代は社会の底が抜けている、とも言える。立場や役割とは制度、形式であって代替可能。それに振り回されている人は本当の自分を生きているといえるのか、との指摘にはドキッとする。2024/09/18

awe

8
社会学理論や社会思想を専門とする社会学者による三部作の完結編。一作目は昔少しだけ読んだ記憶がある。本書単体でも読めるとのことだったので購入。結果としてかなり面白かった。ただし、本書の内容はところどころ高度に哲学的で、そういった文章を読む訓練を受けていない自分にとっては多少理解しづらい箇所もあり、本書の論旨を完全に理解できたとは言い難い。◆トクヴィル、デュルケム、ベルクソン、永井荷風の思想をあげつつ、社会とは、社会学とは何か、日本社会において「社会が不在」であるのは何故なのかが論じられていく。論者らの思想が2024/10/27

Mealla0v0

7
まず、トクヴィル、デュルケム、ベルクソンに基づいて、神の権威に拠らずに、人間自身の内において人間の平等性を担保する世俗世界としての社会の認識確立が叙述される。そして、ドレフェス事件と大逆事件の比較を通じて、日本ではそのような意味での社会が確立されなかったことが確認される。そして、それを突き詰めれば、「我々人間が共に生きている」という事実の中に、①生の持続の強迫性に由来する規範性と、②他人を人間と見なすという賭けに由来する規範性の2つがある。この社会的生という社会的事実が社会の底に当たるという。2024/09/01

Kooheysan

5
しばしば国のありよう/制度と混同される「社会」について。宗教(カトリック)を絡めた民主主義の発生のプロセスの説明がとても勉強になりました。「他人を人間扱いすること」(人権問題=自分の関心のある問題系)とはどういうことか。それへのヒントがたくさん提示されています。筆者の考える社会の一番底が本書で示されることであれば、現代の日本は確かに底が抜けているような気がします。まずは自分の身近な人たちとの間から、人間としての意識を鍛えます。本当にこれ以上社会が棄損されませんように…。2024/09/16

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