内容説明
ひとは何かを失わなければ成熟した大人になれないのか? 江藤淳が戦後日本の自画像として設定した「成熟」と「喪失」の問題系について、庵野秀明の映像作品を読み解きながら、「成熟」による父性の獲得が普遍的な問いにないことを明らかにする、日本人の成熟観を刷新する批評的実践。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
しゅん
13
庵野秀明論であり、江藤淳論でもあるが、そのどちらでとない。ちゃんと庵野作品に触れられたり、江藤論、および上野千鶴子・大塚英志・福田和也・杉田俊介などの江藤論も語られてはいる。ただ、実際は日本社会における「成熟」の奇妙さについて語っている。成熟を語ることが、成熟しないままでいるエクスキューズになる。社会(=シャカイ)を語ることが、社会を無視することのエクスキューズになる。そう考えると、言葉にすることに含まれる必然的な嘘の探究が、本書の向かった先に思える。嘘をひっくり返すための言葉の流れとして本になる。2024/07/11
caniTSUYO
2
エヴァンゲリオンを主軸とした庵野秀明の作品群、並びに庵野秀明論を文芸評論家の江藤淳「成熟と喪失」を引き合いに出すことで、日本社会における「成熟」論を浮かび上がらせる。TVシリーズ、新旧劇場版、シン・エヴァについての解釈は意外性はないが、エヴァ以外のシン・シリーズの解釈やそれが庵野にどの様な意義を与えたかという成熟の変遷の整理は目から鱗だった。 個人的にシン・ウルトラ/仮面ライダーは映画としてイマイチな印象だったが本作を読んで再鑑賞したいと思った。2024/11/23
あに太
2
なぜなら「成熟」するとはなにかを喪失することではなくて、「成熟」を喪失することだからである。この本の最後の一文を証明するために、庵野秀明さんや江藤淳さん、その他の評論家が参照される。筆者も注意しているが、この本は庵野秀明さんの作家論や作品論ではなくて、「成熟」とは何かについて語る批評である。劇場版『シン・エヴァンゲリオン』よりも『シン・仮面ライダー』の重要性を筆者は指摘する。前者を無理やり終わらせたマリの存在抜きで語られる後者こそ、「喪失」が「喪失」としてあるからである。2024/10/13
静かな生活
2
REVIEW SCORES 75/100 非常に複雑なコンセプト。宇野のサブカル批評と対照的で、ジャーナリズムと距離を置きつつ、結局結論は宙吊りになっている2024/08/05
takao
2
ふむ2024/07/28




