内容説明
『田中角栄研究』『宇宙からの帰還』『脳死』など、ジャーナリストとして膨大な著作を残した「知の巨人」は、なぜ晩年、あえて非科学的な領域に踏み込み、批判を浴びたのか……。
「語り得ない領域」に触れる詩や信仰の言葉を弄ぶことを禁じて、ファクトを積み重ねて突き進んでいた立花が、最晩年に小説や詩が醸す豊潤な世界に身を委ね、宗教と和解する必然を描きだした渾身のルポルタージュ。現代社会に問いを立て続け、書き、疾走した立花隆の原点と到達点を解き明かす。大江健三郎氏との未公開対談「創作と現実の間」を収録。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
パトラッシュ
126
立花隆に対する批判は様々な立場からあろうが、彼ほどスケールの大きなノンフィクション作家は他にいない。角栄から宇宙、共産党や左翼過激派から脳死、さらにニュー・サイエンスに音楽まで、扱った分野と仕事量は信じられないほど膨大だ。かくも旺盛な知的好奇心の源流を、著者は両親から来るキリスト教信仰と哲学を学び詩も書いた経験に探る。神は存在するのか、死とは何かという人の根本的命題を言葉で表す苦闘が、事実を記録するだけの凡百のライターと立花を分ける分岐点だった。考える人として成長したことが「知の巨人」の原点となったのだ。2024/07/25
trazom
97
立花氏の生涯と作品を振り返り、多方面からの評価を加えた読み応えのある一冊ではある。特に、立花氏自身が最も影響を受けたヴィトゲンシュタイン「論理哲学論考」を踏まえて、立花氏が、「語り得るもの」と「沈黙すべきもの」の境界線を引き直す作業に腐心していたという指摘や、彼の論考が(反発していたはずの)キリスト教的価値観から逃れられずにいたという指摘に納得はする。功罪両面を捉えた客観的で論理的な評伝だとは思うが、シニカルな表現が目立ち、何より、立花氏への愛情が感じられないもどかしさが、後味の悪い読後感に繋がっている。2024/07/09
ころこ
48
私の立花評は重要な点を外している、言い換えると哲学的なことに対する感度の鈍さがあるというものだ。あとがきにある『論考』ばりのメモは、カントのアンチノミーを理解していない人の凡庸な議論だ。とはいえ、文理融合は最後まで捨てなかったし、多くの事象に興味を持ち、大量の情報を整理し、大量の本を買い、読み、書棚に納めることに関して、読書家として敬意を持つ存在だった。作家やジャーナリストが後世に残るかは、死後に言及されるかどうかに掛かっている。その点では有益な本ではある。しかし、本書は『論考』に関する立花の考察を土台に2024/08/31
ぐうぐう
31
疑問はジャーナリストにとって動機に成り得る。立花隆の著作も疑問から始まっていることが多い。それに倣ってか、武田徹は立花隆の評伝を書くにあたって疑問から始める。立花が書く文章はなぜ平易なのか。あるいは、熱心なクリスチャンであった両親への反発は本物なのか。このふたつの疑問に対して武田は、ウィトゲンシュタインのフィルターを通して解読しようと試みる。そして新しい解釈の視点の獲得が、立花像を深めていく展開が読者の納得とともに理解を促していくのだ。(つづく)2024/07/03
せらーらー
6
まともに立花隆さんの本を読まず、この本を読んでしまった。生前、メディアに出られていた方なので、ぼんやりとした輪郭ではあるけど、『ものすごい多種多様なセンサーの持ち主』という印象がある。Nスペで昔、戦後、シベリア抑留された人々の歴史を取材していた。現地での取材の終わりに、語りながら滂沱の涙を流されているのを見た。取材というより、一人の人間として、その場に来ている、という感じだった。著者は立花さんに対して、どこか突き放すような文章を書く。純粋観客に踏みとどまれなかった立花隆に対するもどかしさだろうか。2024/11/22
-
- 洋書電子書籍
- Personal Finance Fo…
-
- 電子書籍
- 【単話】猫かぶり令嬢アリアの攻防 第1…
-
- 電子書籍
- 偶然見つけた7月【タテヨミ】第53話 …
-
- 電子書籍
- LEON 2019年 12月号 LEON
-
- 電子書籍
- 死神のいる街角