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内容説明
電車の中や部屋の中、気が付けばいつもスマホをスクロールしている。本当は何が知りたいのか、自分に何が必要なのかわからないままSNSの世界に浸り続け、気が付けば自分自身を見失ってしまった――。
スマホ時代の過剰な繋がりによって失われた〈私〉を私たちはどうやって取り戻すのか。気鋭の哲学者による現代を生き抜くための思考法!
【本書の主な内容】
第1章 デフォルトの〈私〉
――――動物になるか、善い人になるか
・ミニオンズの憂鬱
・パッケージ化された善に警戒せよ
・目を閉じて、〈私〉の声を聴く
第2章 〈私〉を取り戻すための哲学的思考
・「新デカルト主義」宣言
・判断しなくてよいという判断
・批判的思考のプロトタイプ
第3章 ポスト・トゥルースを終わらせる
・SNSを気にする学生
・「正しさをめぐる争い」は終わりにする
・陰謀論は理性と情動に訴える
第4章 ネガティブなものを引き受ける
・対話とネガティブ・ケイパビリティ
・アルゴリズムと自己消費
・「弱いロボット」から考える
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
樋口佳之
53
すべてを「人それぞれ」で済ませていては、暴力に対抗できない。逆に、「善への意志」を闇雲に押し出すだけでは、全体主義の危険…前者は、他者に対して寛容だが、それは共に生きていくための共通の枠組みをつくれない。後者は、善のパッケージを示しはするが、他者に対して不寛容であり、そのパッケージに共感しない者を蔑み、攻撃性…/87年生まれ、お若い。この世代の世界観を学べました。一点。暗黒面に堕ちず「善のパッケージ」を自らへのベクトルで生きる諸先輩もいたよね、そういう世界への向き合い方も可能だよねって書き残したいです。2024/02/27
踊る猫
35
難解なところはあるが、ぼくなりに拾ったところによるとどのようにして「退屈」と向き合うか。言い換えれば、その「退屈」を感じてしまう「私」という実存を乗りこなすかが語られていると受け取る。下手をするとネットが無限に繰り出す情報の渦に呑み込まれて「私」をなくしかねない状況でどうやってその「私」を取り戻すか。前半の難易度の高さにひるまず読み進めれば、後半からグッとアクチュアリティを増した考察にワクワクしてくるはずだ。ぼく自身、この不透明性が増した時代において本書で「私」の輪郭を捉え直すことを学び直せたように思える2024/01/06
kazi
23
目次をパラパラしたときに目に飛び込んできた、「第1章 デフォルトの〈私〉――――動物になるか、善い人になるか ミニオンズの憂鬱」という項目がどんな内容なのか気になりすぎて思わず購入してしまいました。タイトルの印象からライト層向けの軽い内容の読み物を想像していたのだが、ガッツリ哲学・現代思想だった。正直自分がどこまで理解できたか危うい。本当に日本人は"終わりなき日常"に退屈しているのか?私も周りの人も"やりたいこと""やらなければいけないこと"に追い立てられて、暇つぶしに中毒する余裕なんてないのだが・・・。2025/02/25
buuupuuu
23
現代では、退屈を根底として、動物的な欲求充足へ向かうか、他者からの安易な承認を求めて祭りや炎上へと参入していくような傾向があり、それによって相対主義や独断主義が蔓延することになる。SNSは消費を目的とした空間であり、それらの欲望が無限に繰り返される場所になってしまっている。著者の言う新デカルト主義とは、自分自身がともかく世界を受け止めているという事実の認識と、どうしてそのように受け止めているのかについての反省とから成ると言えるだろう。これによって、安易さへの抵抗と普遍への志向がもたらされるとしている。2024/02/29
chie
20
哲学が面白いと初めて思えた。構築主義と呼ばれる、「人それぞれ」を認める思想の課題は、暴力まで認めてしまうことにあるという。「正しさをめぐる争い」を終わりにする方法として著者は、新デカルト主義という態度を提案する。「〈私〉の認識の絶対性と有限性を自覚することで、他の〈私〉が同じ条件に立たされていることを理解し、〈私〉が〈私〉を尊重していく。新デカルト主義の核心にあるのは、まさしく思考の原理と世界への態度である。」そしてこの「〈私〉の有限性」こそが〈私〉を取り戻すための糸口となりうると説く。要再読 2024/02/12




