内容説明
78歳の元建築家ゲルトナーは、医師に薬剤を用いた自死の幇助を求めている。彼は肉体的にも精神的にも健康な状態だ。ただ、愛する妻を亡くし、これ以上生きる意味はないと考えている。ドイツ倫理委員会主催の討論会が開催され、法学、医学、神学の各分野から参考人を招いて、彼の主張について議論することになった。「死にたい」という彼の意志を尊重し、致死薬を与えるべきか? ゲルトナーのホームドクターや顧問弁護士も意見を述べ、活発な議論が展開される。だが、最終的な結論をくだすのは――観客の「あなた」だ。本屋大賞「翻訳小説部門」第1位『犯罪』の著者が放つ、医師による自死の幇助の是非について観客が投票する緊迫の戯曲!/【目次】第一幕/第二幕/付録「実存的、宗教的および文化的観点から見た自死とその介助」ハルトムート・クレス/「自死の介助――倫理的論争の観点」ベッティーナ・シェーネ=ザイフェルト/「法における自死」ヘニング・ローゼナウ/解説=宮下洋一
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
どんぐり
102
臨死介助をめぐって医学・法学・神学の参考人たちが登場して議論するシーラッハの法廷戯曲。“自分自身を死に至らしめることは殺人ではないので、「自殺」ではなく「自死」というべき”から始まる。ナチスの犯した「人種衛生学」がでてきたり、ドイツ連邦共和国基本法の前文にある「ドイツ連邦共和国を構成する州の列挙。ドイツ国民は神と人類に対しこの憲法制定について責任を負うべき事」の“神”が出てきて、なかなか一枚岩ではいかず、結論は提示されないままに終わる。なにをおいても法律に神が登場する国なのだ。→2024/06/01
ケンイチミズバ
95
ネタバレをせぬよう読了前にコメントしました。シーラッハの考えは例によって弁護士ビーグラーが代弁します。討論が特にカソリック代表に対して詰問口調になりここは法廷ではありませんと度々促されます。ナチによって使われた価値のない命という言葉、遠くない将来、高齢者には自分で命を絶てという圧力がかかるでしょう。には日本で起きた事件も思い起こされます。命は「神」が与えたもの、死もまた「神」が判断すべきもの。患者が選ぶ自死を「神」が認めないなどには私も異論があります。自死そのものには否定的ですが。どんな結論に至るのか。2023/09/19
R
63
戯曲。法廷舞台劇という装置を使って、神の存在や認識について、自殺というテーマから掘り下げるものだった。実際にこれが演じられているものを見たいと強く思うほどだが、多分セリフで聞いたら全然理解できないようにも思う。自殺の権利はありやなしやという話から、そもそもそれを許す許さないを神が決めるのか、自分という存在は神のものなのかといった高度なやりとりが出てきて、そういう宗教観のない自分には新鮮なやりとりで、こういうものが難題となる文化の一端を見られたようで興味深かった。2024/02/12
たま
60
期待して読んだが、期待外れだった。以下辛口です。安楽死(自殺幇助、臨死介助)の是非を戯曲形式で論じる。医師による自殺幇助を希望しているゲルトナーとその弁護士、つまり自殺幇助賛成派の二人と、批判的な倫理委員会委員がそれぞれ法律、医学、宗教の専門家と討議する。戯曲としての工夫はゼロで浅薄な意見の羅列と感じた。医師と司教は反対派で、それなりの経験を経た深い意見があって当然と思うのだが全然深みがない。欧米の議論は日本には適用できないと言う宮下洋一さんの解説だけが面白かった。2023/12/31
neputa
39
「安楽死」あるいは「尊厳死」をテーマにした戯曲。かつて著者の『テロ』という作品が世界各国で舞台上演され、観客が実際に評決を行った。本作も同様、観客参加型の舞台上演が行われた。内容はドイツ国内における安楽死に関する討論。安楽死を希望する老人と弁護士、そして医療、宗教、哲学から専門家が参加し議論が行われる。ひとつひとつの意見に深く納得してしまう。これまで、帚木蓬生の「安楽病棟」や映画『PLAN75』など、同テーマに触れる機会はあったが、何一つ自分の意見を持ち得なかった証拠だ。本作を機に、思考停止を解かねば。2025/01/19