内容説明
弟を殺害した死刑囚と面会し対話を続けた原田氏.オウム真理教・教祖の娘として大学への入学拒否など社会から排除されてきた松本氏.立場が異なりながらも,事件に巻き込まれ差別や孤立を強いられてきた二人の対話から見える,この国の形とは.被害者を置き去りにしながら加害者への憎悪を煽り,死刑を存置する社会を問う.
目次
はじめに(長塚洋)
I 社会から消される私たち 被害者家族と加害者家族、それぞれの孤独(二〇一八年二月、東京)
II 死刑がある国の命の重さ(二〇二二年七月、大分)
注
図 死刑をめぐる日本の世論
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
chanvesa
23
原田さんが指摘する加害者に対して憎しみを持つ一般人を「その人たちは、皆高みの見物なんですよ。だから好きなことを言える。責任がないから好きなことを言う。」(58頁)という言葉は重い。松本さんの「今、私にすごいバッシングしてきてる方々は、どこか社会に満足できてないから、私にぶつけている側面もあるのではないかと感じるんです。」(61頁)の冷静に分析と、彼女がカウンセラーとして活動していることをすごいと思う。難しい問題であり、結論は簡単に出ない。そのことを誰しもが心に留める必要がある。2024/07/13
かふ
19
映画『それでも私は Though I’m His Daughter』を観て疑問に思ったことは、松本麗華は麻原彰晃を松本智津夫として描いているわけで、一般論として麻原彰晃(オウム真理教の教祖)を松本智津夫(父親)と見れない一般論と対峙するには物語形式のドキュメンタリーではなく、問いのドキュメンタリーの方がいいと思ったのだが、この本では単に被害者家族と加害者家族との対話として、共感部分として司法からの孤立化がありその部分で共感するところはあった。ただこれは特殊な関係性で松本麗華の娘性が出たと思う。2025/08/06
どら猫さとっち
11
オウム真理教の教祖の三女として生まれた松本麗華さんと、弟を保険金かけられ殺害された原田正治さん。被害者/加害者家族が語る、死刑について対話した。本書の内容は、長塚洋監督のドキュメンタリー映画「それでも私は」にも出ている。極刑を強く望んだが、考えが変わった原田さん。死刑は当然と思っても、自らの父親が執行されたことで苦しい思いをした麗華さん。立場を超えた対話は、私たちに深く考えさせられる。今も死刑はやむを得ずの社会に、本書はひとつの考えを呈する。2025/08/13
てくてく
6
置き去りにされてしまっている被害者家族および加害者家族について、弟を殺害された原田氏とサリン事件の首謀者とされる教団トップの娘である松本氏の対談。父親の死刑執行をはさんだ2度の対談であることもあって松本氏の辛い状況が発言から伝わる。原田氏の「一般の人が勝手に自分の頭の中で被害者像を作り上げている。加害者像というものも作り上げている。加害者は完全悪、被害者は善だと。」といった発言などに説得力があった。2023/12/13
takao
2
ふむ2024/09/14
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