遠い声をさがして - 学校事故をめぐる〈同行者〉たちの記録

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遠い声をさがして - 学校事故をめぐる〈同行者〉たちの記録

  • 著者名:石井美保
  • 価格 ¥2,970(本体¥2,700)
  • 岩波書店(2023/06発売)
  • ポイント 27pt (実際に付与されるポイントはご注文内容確認画面でご確認下さい)
  • ISBN:9784000615396

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内容説明

小学校のプールで失われた命.なぜ,どうして,事故は起きてしまったのか.受容と忘却の圧力に抗い,「その時」に迫ろうとする両親と同行者たちの苦悩と行動.そこから浮かびあがる学校や行政の姿.同行者の一人として出来事にかかわった文化人類学者が,多声的な語りから亡き人とともに生きることの意味と可能性を考える.

目次

序章 出来事のはじまり
第一部 つながりをなくした世界で
一章 羽菜ちゃんという女の子
羽菜ちゃんの誕生
わんぱくな保育園生活
羽菜ちゃんの個性を育む
小学校への入学
小学校での羽菜ちゃん
二章 夏休みのプール学習中に起きた事故
事故の一報
「何もつながらない世界」
学校から両親への説明――連携のとれた救護?
事故当日のプールの概況
休憩時間までの羽菜ちゃんの行動
自由遊泳の開始と事故の発生
救護の状況についての学校説明
学校での説明会と「水泳帽の色」をめぐる問題
三章 「日常に戻りなさい」という圧力
「事実を知りたい」――訴訟の決断
新たな選択肢としての第三者委員会
第三者委員会の設置に向けた奔走
第三者委員会の発足へ
「日常に戻ろう」という圧力――事故後の教員たちと遺族との溝
四章 追悼のかたちをめぐる学校と遺族の距離
学校における「偲ぶ会」の開催
参列者たちの思い,遺族との距離
家族による供養――羽菜ちゃんを世話する
物語化に抗して問いつづける
第二部 「公正中立」な調査とその限界
五章 プールでの再現検証と聴き取り
プールでの再現検証に向けて
検証実験の実施
児童への聴き取りをめぐる問題
「聴取」と「傾聴」の二重性
羽菜ちゃんのまなざしになりかわる
六章 第三者委員会の解散と残された疑問
調査報告書の提出と第三者委の解散
報告書における羽菜ちゃんの行動分析
「羽菜はどう動いたのか?」――両親の疑問
若手研究者による数理的な検討とシミュレーション
報告書に記載された数値の検討
シミュレーションを用いた「後追い仮説」の検討
報告書と再現実験の改善案
七章 自主検証の実現を求めて
廃棄された調査資料
「報告書は自己完結している」?
自主検証の実施に向けた市教委との交渉
第三部 「遠い声」を探しつづける遺族と同行者たち
八章 自分たちの手で検証実験をデザインする
新しい実験のデザイン
遺族と友人たちの奔走
自主検証の当日
自主検証の後に残されたもの
「羽菜に近づく」という経験
エンパシー的な理解と仮説の形成
九章 救護プロセスと語りをたどりなおす
救護はどのようになされたのか――学校による事故直後の説明
教員たちの語りを聴きなおす
どのような問題があったのか
一〇章 それぞれの視点から浮かび上がる問題点
教員たちの視点――教育現場における問題
市教委職員の視点――遺族との関係,組織としての制約
調査委員の視点――第三者委の限界,あるべき調査とは
終章 「同行者になる」ということ
羽菜ちゃんのことを伝えるために
学校安全に向けた叡成小の取り組み
「HANAモデル」という名前
「当事者として発信すること」とは
消えないふたつの問い
反響しつづける「なぜ」という問い
参照文献

あとがき

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

takao

2
ふむ学校事故2023/07/20

Keikoh

2
私たちが問いつづける問いはふたつあります。「なぜ、私たちはあの子を失わなければならなかったのか、なぜあの子はいないのか」のwhyと、「どのようにして事故は起きたのか、あの子はどうやって死んでしまったのか」のhowです。whyの問いに答えはありません。私たちは一生悔いつづけるでしょう。私たちがあの子を守ってやれなかった、生きさせてやれなかった。しかし、howの問いには答えがあります。事故が「どのようにして」起きたのかということはせめて知りたい、それによって羽菜の人生を最後まで守ってやりたいと願っています。2022/10/24

鳩羽

2
2012年に小学校のプールで起こった女の子の死亡事故。なぜ、どのようにして事故は起こり、娘が亡くなってしまったのか明らかにすることを望む遺族と、同じような事故が二度と起こらないよう、マニュアルや体制の作成に注力しがちな教育委員会。遺族と知り合いだった文化人類学者の著者は、事故をめぐる展開に〈同行者〉として関わりながら、回復の物語や再発防止だけでは掬いきれない、個人の人生の最後の声を求めていく。第三者委員会の設置や聞き取りなどが、結果的に遺族のためではなく、社会が日常に戻るためというのがなんとも虚しい。2022/08/13

雨宮菖蒲

1
2012年、ある小学校のプールで夏休み中に1年生の児童が溺死するという事故が起こった。 この本は事故について、文化人類学者である著者が、亡くなった子の両親の友人という<同行者>の立場から書き表したものである。 事故後、娘の死の原因について知りたい両親の願いとは裏腹に、京都市教育委員会は事故原因について詳細な調査をせず、早々に事故の再発防止に向けた未来の方向へ進んでいく。 そうした中、置き去りにされた両親は民事裁判を起こすとともに、事故原因の解明のため第三者委員会を設置することを目指して動き出していく。2023/03/24

かいけん

0
夏休みのプール授業中に亡くなった小1の女の子、その家族とこの事故に関わった人たちの10年の記録。この本が独特なのは、遺族による主観的正面の視点でも、ジャーナリストによる第三者的対面の視点でもなく、同じ小学校に通い同じ授業に出ていた娘の母親による当事者でもなくが全くの第三者でもない立場による「真横から」の視点と、著者の文化人類学者という研究者の思考で書かれていることによるものだからだろう。2023/03/17

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