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内容説明
未踏の大地だった中世哲学は、20世紀に入ると忘却の淵から蘇った。歴史的な関心よりも、現代における問題に直結する哲学として光が当てられ、中世論理学が言語哲学への枠組みを提供するなど、非合理でも素朴でもなく、煩瑣で無内容でもない中世哲学の姿が示されるようになってきた。中世哲学への入り口を示し、基本用語への解説を加えつつ存在の問題からアヴィセンナの存在論、存在の一義性、個体化論、普遍論争へと、存在の海をめぐる思想史を丁寧に案内する決定版入門書。
目次
はじめに/「中世哲学とは何か」という根源的な問い/傷跡としての中世/忘却された中世哲学、そして学びの困難/なぜいま中世哲学なのか/第一章 中世哲学の手前で/1 中世哲学の門前/隠れスコラ哲学の徒として/中世哲学の海に投げ出されて/中世哲学を取り巻く状況の変化/2 存在とは何か/中世哲学における「存在」とは/ハイデガーと中世哲学/3 スコラ哲学という道程/スコラ哲学のスコラ性──異論の列挙と論駁/大きな地図としての中世哲学/急激な時代の変化とともに/第二章 中世哲学の姿/1 革命の時代としての中世/中世の盛期としての十三世紀/カトリック神学との密接な結びつき/2 準備作業として【用語解説1】/普遍論争の「普遍」とは何か/十三世紀の普遍論を理解するための用語集/普遍と志向/3 課題としての唯名論/唯名論は「憎まれっ子」ではない?/唯名論の三つの顔/第三章 存在の問題/1 隠れたるものとしての存在/「存在とは何か」という思考の迷宮/具体的かつ濃密な概念としての「存在」/「存在」という訳語の問題性/山田晶という先師、そしてジルソンの存在主義/「器」「舞台」としての存在/エッセとエッセンチア/2 井筒俊彦という輻輳点/アヴィセンナの先駆的な紹介者として/トマス・アクィナスに誤解されたアヴィセンナ/3 アヴィセンナの存在論/アリストテレスへのよき導き手として/存在偶有性説はなぜ批判されたのか/「偶有性」ではなく「随伴性」?/随伴性としての存在/4 偶有性を誤解すること/存在偶有性説における二つの次元/ガンのヘンリクスによる解明/第四章 存在の一義性への道──第一階梯/1 イスラーム思想の中の一義性/イスラーム哲学史におけるモッラー・サドラー/『存在認識の道』における存在論/2 アナロギアとは何か/スコトゥスの一義性とトマスのアナロギア論/トマス・アクィナスの神学観/アナロギアの早わかりのために/ガンのヘンリクスのアナロギア説/3 存在一義性が目指す場所/存在の一義性という黒い淀み/個体本質とは何か/スコトゥス哲学の軸としての神の個体本質/スコトゥスの神学/神学の成立条件としての一義性/密林に入りゆくスコトゥスの理論/第五章 スコトゥスの基本概念についての説明/1 存在論の基本概念【用語解説2】/存在実質・端的に単純・共通本性/事象性・形相性・本原的に異なる/2 自体的述語という難物【用語解説3】/自体的述定(第一の自体的述定・第二の自体的述定)/様態・離接的様態/3 極めて難解な三つの概念【用語解説4】/超越概念についての概略/スコトゥスにおける超越概念/内在的様態・形相的区別/第六章 存在の一義性──第二階梯/1 認識論的一義性/一義性についての復習/繊細かつ大胆な提案としての一義性の展開/2 存在論的な一義性/一義性の二つの頂き/スコトゥスの短すぎる人生/存在論的認識論というモチーフ/二重の一義性の必要性/3 海としての神の個体本質/神の単純性/スコトゥス最晩年の著作『任意討論集』/原型的ビジョンとしての「実体の無限な海」/一義性から個体化論へ/第七章 個体化論の問題/1 個体化とは何か/存在の一義性と個体性/スコトゥスの〈このもの性〉とオッカムの唯名論的主張/アリストテレスの論理的な枠組みの限界/スアレスの個体化論/個体化論の行方/2 スコトゥスの個体主義/間接的個体認識の流れ/直接的個体認識の流れ/スコトゥスの理論における〈このもの性〉の登場/3 〈このもの性〉という謎/謎としてとどまり続けた〈このもの性〉/その後の〈このもの性〉の理解──ザバレラ『個体構成論』をめぐって/〈同時的全体〉としての個体/〈このもの性〉という海──様々な概念の輻輳点として/第八章 普遍論争/1 十三世紀の普遍論争/普遍論争とは何だったのか/〈認識論的転回〉の時代/十三世紀の普遍戦争の舞台裏──アヴィセンナの影響/2 志向という概念/志向とは何か/スコトゥスとオッカムの理論の連続性/スコトゥスの論理学的著作における普遍と志向/3 アフロディシアス的伝統/〈本質存在〉とは何か──ニゾリウス『異教的哲学反駁』/馬性の格率と普遍、そして「中立説」の系譜/アヴィセンナの普遍論/ヘンリクスの論点/4 スコトゥスと「中立説」/アヴィセンナとスコトゥスの思想の近接性/肯定的なものとしての〈本質存在〉/5 唯名論への扉/スコトゥスとオッカムの断絶を超えて/記号論の道具としての代示(スッポシチオ)/個体的代示と単純代示/普遍をめぐる三つの看板/〈虚〉なる存在者への態度/第九章 中世哲学の結実/1 〈認識論的転回〉──中世哲学のドラスティックな変革/唯名論は中世哲学を滅ぼしたのか/〈認識論的転回〉の嫡出子としての唯名論/オッカム的唯名論に至るまでの道のり/ペトルス・アウレオリの理論/〈認識論的転回〉の推進者として/「或る絶対的なもの」としての直観的認識/錯覚と対象的概念/2 オッカムと概念主義/シャルペによるオッカム理論の紹介/〈フィクトゥム〉とは何か/オッカムの概念論のテキスト/3 なぜ唯名論は憎まれたのか/アヴィセンナの普遍理論──オッカム的唯名論の準備として/ドゥンス・スコトゥスへの批判/〈理虚的存在〉/終章 中世哲学の構図/スコトゥスとオッカムの関係/グレゴリウスの系譜/イエズス会/中世哲学の構図/あとがき/人名索引/事項索引
感想・レビュー
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amanon
Iwata Kentaro
Ex libris 毒餃子
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takao