内容説明
書くことをめぐる無二の長編
「翻訳の仕事をしていると、たまに「自分が今までに訳したものの中で一冊だけ自分が書いたことにできるなら何か」と質問されることがある。そんなとき、私はいつだって「『話の終わり』!」と即答してきた。それくらい私にとっては愛着の深い作品だ」(本書「訳者あとがき」より)
語り手の〈私〉は12歳年下の恋人と別れて何年も経ってから、交際していた数か月間の出来事を記憶の中から掘り起こし、かつての恋愛の一部始終を再現しようと試みる。だが記憶はそこここでぼやけ、歪み、欠落し、捏造される。正確に記そうとすればするほど事実は指先からこぼれ落ち、物語に嵌めこまれるのを拒む――「アメリカ文学の静かな巨人」デイヴィスの、代表作との呼び声高い長編。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ケイティ
26
12歳年下の恋人との別れをひたすら反芻し続ける女性教師の、終わったけれど終わっていない恋。彼女の頭の中のお喋り、独白をずっと覗いているような所在なさがつきまとう。小説にすることで、第三者的視点で冷静に振り返ろうとするが、記憶は思い出すたびに上書きされ、自分の中にだけ存在する物語への愛憎が切なく痛々しい。いつ始まっても終わってもいいような、淡々とした文章が良かったです。2023/07/12
原玉幸子
23
表現や文体が美しい訳ではないので、「じれったい恋愛小説」とでも言えそう。表現や言い回しが難しくないのにも関わらず(彼女がしつこいからかイライラするエピソードが繰り返し出てくるからか分かりませんが)何故か読み難くて、頁を繰るスピードが思いの外遅かったです。全くどうとも似ていないのでシントピカルとは言えませんが、彼のことをつらつらと想う女性主人公の小説で思い出したのは、倉橋由美子『暗い旅』。人を好きであるとは、言えば「長さ」、そして狂気と紙一重の「熱」。(◎2023年・冬)2024/01/21
YO)))
18
あの時・あの場所で確かに生起した出来事や感情が、記憶として構成された時に逃れて行ってしまうもの。 更にそれを文章として書き記そうとした時に捉えきれないもの。いわば”外堀”として、それら二重の困難・不可能性を、「こうでありえたかもしれない」「しかしそうではなかったかもしれない」という揺らぎの軌跡としてひたすら書き続けることで、恋愛の、引いては人生のかけがえのない一回性を、真空のドーナツの穴を浮かび上がらせるかの如く描き出そうとする稀有な試み。2023/01/26
きゃれら
17
リディア・デイヴィスは、ルシア・ベルリン「掃除婦のための手引き書」で推薦文を書いていることで知った作家さん。本書は、恋人との別れをずーっと書き続けた長編小説。なぜそんなに長い作品になるかというと、別れを語り手が受け入れることができないからなのだが、心理の動きや自分でもどうにもできない行動は好きな人と悲しい別れを経験した人ならだれでも記憶を呼び覚まされる生々しさではないか。そこへメタフィクションや意識の流れ的な手法まで織り込まれていて、非常に読みごたえがあった。再読でまた深い味わいを楽しめそうである。2023/08/30
kuukazoo
14
「私」は何年も前に別れた年下の恋人との恋愛の一部始終を小説として書いている。読者は過去の恋愛についての「私」の語りを読むのだがその元となる記憶はすでにごちゃ混ぜで曖昧であり小説として書くこと自体が記憶の再構築再配置なのだが、描写がとても細密なので読んでる方は「私」と同一になってしまう。と、いやこれは小説なんだよと引き戻される。恋愛自体にドラマはないのに読まされてしまうのがすごい。小説はいかに小説になるのかというダイナミズム。別れて後の「私」の恋人へのストーカーじみた執着はヤバいが恋ってそうだよなと思った。2023/09/04