講談社選書メチエ<br> 中華を生んだ遊牧民 鮮卑拓跋の歴史

個数:1
紙書籍版価格
¥1,870
  • 電子書籍
  • Reader
  • 特価

講談社選書メチエ
中華を生んだ遊牧民 鮮卑拓跋の歴史

  • 著者名:松下憲一【著】
  • 価格 ¥1,815(本体¥1,650)
  • 特価 ¥1,270(本体¥1,155)
  • 講談社(2023/05発売)
  • ポイント 11pt (実際に付与されるポイントはご注文内容確認画面でご確認下さい)
  • ISBN:9784065318393

ファイル: /

内容説明

中国の歴史は、統一王朝時代と分裂時代の繰り返しである。そして、漢族と北方遊牧民との対立と融合の歴史でもある。なかでも、秦漢帝国が滅亡した後の「魏晋南北朝時代」は、それまでの「中華」が崩壊し、「新たな中華」へと拡大・再編された大分裂時代だった。この「中国史の分水嶺」で主役を演じたのが、本書の主人公、拓跋部である。
拓跋部は、モンゴル高原の騎馬遊牧集団・鮮卑に属する一部族だった。3世紀、部族国家を築いて歴史に登場し、386年には拓跋珪が北魏王朝を開いて、五胡十六国の混乱を治めた。
北魏では、皇太子の母が死を賜る「子貴母死」や、亡き父の妃を息子が娶るレビレート婚など、遊牧社会の伝統を残しつつ、雲崗・龍門の石窟寺院で知られる仏教文化や、名君・孝文帝の漢化政策により文化の融合が進み、「新たな中華」が形成された。北魏の首都・洛陽の平面プランは、唐の都・長安に受け継がれ、さらに奈良・平城京へともたらされるのである。
北魏は6世紀に東西に分裂するが、その後、中国を統一した隋王朝、さらに大唐帝国の支配層でも拓跋部の人々は活躍し、「誇るべき家柄」となっていた。「夷狄」「胡族」と呼ばれた北方遊牧民の子孫たちは中国社会に溶け込みつつも彼らの伝統を持ち込み、「中華文明」を担っていったのである。

目次
はじめに――分裂と夷狄・胡族の中国史
第一章 拓跋部の故郷――遊牧と伝説                            
第二章 部族を集めろ――「代国」の時代
第三章 部族を再編せよ――北魏の成立
第四章 中華の半分を手に――胡漢二重体制
第五章 中華の中心へ――孝文帝の「漢化」
第六章 胡漢融合への模索――繁栄と分裂
第七章 誕生! 新たな中華――隋唐帝国の拓跋
おわりに――なぜ中華文明は滅びないのか
あとがき
参考文献
索引

目次

はじめに――分裂と夷狄・胡族の中国史
第一章 拓跋部の故郷――遊牧と伝説
1 鮮卑の登場
2 『魏書』序紀の歴史観
3 大鮮卑山を探せ! カッ仙洞の発見
第二章 部族を集めろ――「代国」の時代
1 神元帝の拓跋国家
2 西晋と代国の成立
3 昭成帝の改革
第三章 部族を再編せよ――北魏の成立
1 代王から魏皇帝へ
2 部族解散か再編か――中華か遊牧か
3 「大代」と「大魏」――二つの国号
第四章 中華の半分を手に――胡漢二重体制
1 太武帝の華北統一
2 「国史事件」が暴いたもの
3 仏教と雲崗石窟
4 文成帝南巡碑をよむ
第五章 中華の中心へ――孝文帝の「漢化」
1 文明太后の政治
2 胡俗消滅?
3 平城から洛陽へ
第六章 胡漢融合への模索――繁栄と分裂
1 洛陽へタイムスリップ
2 遥かなる六鎮
3 六鎮の乱
4 霊太后の政治と東西分裂
第七章 誕生! 新たな中華――隋唐帝国の拓跋
1 手を垂れると膝を過ぐ
2 レビレートの系譜
3 煬帝の宮廷料理
4 唐の「宮楽図」
5 拓跋部のゆくえ
おわりに――なぜ中華文明は滅びないのか
あとがき
参考文献
索引

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

六点

113
先人の要約により本文については語るものがない。六点はこの分野については素人であるため「わぁ、面白いなぁ」という他はない。2023/08/20

まーくん

90
中国史大家による解説というより第一線研究者による北方遊牧民の歴史考察。馴染みの薄い鮮卑・拓跋部を正面から取り上げ、中原中心の王朝史とは一味違う。北方遊牧民と漢族王朝の関係は長く複雑。遊牧民による征服王朝は中華文明に取り込まれ漢化したとされてきたが、一方的に飲み込まれてきたわけではなく、彼らの文化・習俗も中華を構成する重要要素だという。魏晋南北朝時代の北魏の歴史が中心、北魏は北部の平城を都とするが後期には中原の洛陽に遷都し中華色を強める。しかし、後の隋・唐の統一王朝も遊牧民起源という。一体中華の本質とは??2023/11/18

サアベドラ

45
五胡十六国時代に華北に進出、代国・北魏を建国し後の隋唐帝国の礎となった鮮卑拓跋部の歴史を、その起源から北魏の東西分裂まで辿る選書。著者の専門は北魏政治史。2023年刊。鮮卑というと漢化政策を積極的に行い、漢族に同化していった遊牧民というイメージが強いが、実際には胡族としてのアイデンティティを長く保持し、仏教や食文化など後の中華民族に与えた影響も多大であったと説く。大学の講義を元にしたからか、少々内容が雑多な印象を受けた。政治史については若干駆け足だったので他の書籍で補完したほうが良さそう。2023/08/09

ピオリーヌ

29
北魏前期には七人に担がれた黒氈(黒い絨毯)の上に皇帝が乗って、西を向いて天を拝する儀礼が「代都の旧制」として行われており、これは突厥・ウイグル・契丹等で行われる可汗の即位儀礼であるという。また同時に拓跋珪は中華皇帝即位の儀礼も整えた。皇帝即位と可汗即位の両方が行われていた。確か軍人皇帝時代のローマ皇帝も、皇帝擁立の際は近衛兵に盾に乗せられていたはず。五胡諸国と北魏の差異について。北魏では支配部族の拓跋部と、拓跋部に服属した部族を首都平城の周囲の畿内(雲代地区)に集め、彼らを支配集団の代人集団に作り変えた。2023/08/16

MUNEKAZ

27
鮮卑・拓跋部のこんな平易な概説書がでるとは驚き。北魏から隋唐帝国に繋がる道筋を示し、胡族の習慣と中原の伝統をミックスさせた新しい中華文明を生んだとする。挟まる小ネタは正直微妙だが、講義録を基にしたとあってちょっと納得。北魏の孝武帝の改革により漢化したと言われるが、単純に胡の風俗を排したのではなく、胡漢を合わせた新たなエリート集団の創設が実態であったというのは興味深い。胡族の風習は薄れても、アイデンティティとしては残り続け、隋唐の支配層に受け継がれていく。「漢化」へのイメージが変わるところ。2023/10/06

外部のウェブサイトに移動します

よろしければ下記URLをクリックしてください。

https://bookmeter.com/books/21055385
  • ご注意事項

最近チェックした商品