内容説明
日本における植物分類学の祖・牧野富太郎の最初のエッセイ集。初刊は昭和11年(1936)。執筆時期は内容から察して明治(日露戦争前後)から昭和初期。牧野富太郎ならではの、軽妙洒脱な文体、気取らない表現、語り口で、植物の魅力を縦横に綴る。
以下、本文より。
「私は植物の愛人としてこの世に生れ来たように感じます。或いは草木の精かも知れんと自分で自分を疑います。ハハハハ、私は飯よりも女よりも好きなものは植物ですが然しその好きになった動機というものは実の所そこに何にもありません。つまり生れながらに好きであったのです。」
「私は来る年も来る年も左の手では貧乏と戦い右の手では学問と戦いました、その際そんなに貧乏していても一時もその学問と離れなく又そう気を腐らかさずに研究を続けて居れたのは植物がとても好きであったからです。気のクシャクシャした時でもこれに対するともう何もかも忘れて居ます。」
「私はまた草木に愛を持つことによって人間愛を養うことが出来得ると確信して疑わぬのである、もしも私が日蓮ほどの偉らい物であったなら、きっと私は草木を本尊とする宗教を樹立して見せることが出来ると思っている。」
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
榊原 香織
58
天真爛漫さと専門一筋、の感じがよく出てるエッセイ。 昭和11年、71歳の時の。 まだまだやりたいこと一杯なんですね2023/05/11
狐狸窟彦兵衛
1
ノダフシについて調べていた矢先に、本屋の店頭にふと見つけた💡ご縁を感じる一冊です。ボタニカルで、植物にのめり込んで、身上潰した人と思えばちょっと引きますが、偉大な人は、変人ぶりも偉大なんでしょう。記述は、急に専門用語が入ってきて、一般向けとは思えないけれど、まぁそこは適当に飛ばして(笑)興味深く最後まで読みました。2023/04/26
QP
0
牧野富太郎が植物学者として優れていたかを垣間見ることができる内容だった。桜についてと大言海の項目が面白かった。2023/04/24