ウィトゲンシュタイン 『哲学探究』という戦い

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ウィトゲンシュタイン 『哲学探究』という戦い

  • 著者名:野矢茂樹
  • 価格 ¥2,860(本体¥2,600)
  • 岩波書店(2023/01発売)
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  • ISBN:9784000240635

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内容説明

ウィトゲンシュタインは,『哲学探究』において自らの『論理哲学論考』を乗り越え,哲学問題をまったく新しい光のもとにおいた.従来の問題に新たな解答を与えたというよりも,むしろそっくり哲学の風景を変貌させたのである.読者は,本書によってその光のもとに導かれ,『探究』が開いた哲学的風景に出会うだろう.

目次

はじめに
第1章 語は対象の名前なのか
1-1 言語ゲーム
1-2 治療としての哲学
1-3 「語は対象の名前である」という言語観
1-4 語の意味を教える
第2章 名指すとはどういうことか
2-1 直示的定義はさまざまに解釈されうる
2-2 『論理哲学論考』は直示的定義をどう捉えていたか
2-3 定義と訓練
第3章 分析への誘惑
3-1 純粋な名前
3-2 単純な要素への分析
第4章 本質の探究からの決別
4-1 家族的類似性と曖昧さ
4-2 見本を用いた説明
4-3 規則と道標
4-4 結晶のように純粋な論理
第5章 「理解」の罠
5-1 何かを把握したという幻想
5-2 自然数を「身につけ」,数列を「理解」する
5-3 読み上げる
5-4 原因と理由
5-5 「いま分かった!」という合図
第6章 規則に従う
6-1 規則のパラドクス
6-2 訓練と慣習
6-3 解釈によらない規則の把握
6-4 レールと転轍機
6-5 生活形式を共有する「われわれ」
第7章 感覚を語る言語
7-1 私的言語
7-2 泣き叫ぶ代わりに「イタイ!」と言うことを教える
7-3 文法の対立
7-4 感覚を「私的に」語ることはできない
7-5 「痛み」という語と痛みという感覚
第8章 思考の神話
8-1 言語以前の思考への誘惑
8-2 考えることは語ることか
8-3 心の中で語る
第9章 私だけが〈これ〉をもっている
9-1 「これ」とは何か
9-2 「私」とは誰か
第10章 像
10-1 像と使用
10-2 像はときにわれわれを翻弄する
第11章 志向性の正体
11-1 言葉が心に志向性を与える
11-2 影を追い払う
第12章 言葉は生の流れの中で意味をもつ
12-1 意味と空間
12-2 空間から時間へ
12-3 言葉を道具として使う
12-4 言語の理解と音楽の理解は似ている
第13章 心的概念の道具箱
13-1 心的概念は必ずしも心の状態を表わしていない
13-2 説明のために心を捏造する
第14章 意志する・意図する・意味する
14-1 行為の相貌としての意志
14-2 意図の表明
14-3 意味する
14-4 『哲学探究』の終わり方

おわりに
本書で言及したウィトゲンシュタインの著作
索 引
人名・事項
ウィトゲンシュタインの著作への言及

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

Sam

43
興味はあってもなかなか近寄れないウィトゲンシュタイン。本書を読んでみて、著者の「ウィトゲンシュタインを読んで最も驚きなのは、誰も立ち止まらなかったところで立ちつくしているいるその姿である」という言葉に深く頷く。とはいえ本書ではウィトゲンシュタインの意図は読者を哲学の森の奥に引き摺り込むことではなく、逆に「哲学に悩まされず、霧が晴れ、憑き物が落ちた状態で晴れやかに生きることができる」ようにすることだという。そうだとすれば、生きていくための「希望の書」としていずれ原典に当たってみたいものだ。2022/04/09

踊る猫

29
書かれていることは一件難解な事柄のように映る。だが哲学的な用語に惑わされず慎重に読めば、問われていることは不思議と簡単というか身近な事柄であることに気づくだろう。「わかる」とはどういうことか。「痛い」とはどういう意味なのか(私が痛がっている姿を見て私が実際に痛みを感じていると、どうしてあなたに言えるのか)。だからあまりにも「コロンブスの卵」的な、誰もが考えつきそうでつかない問いでありアホらしくなるほど素朴な問いに付き合うこと。それがウィトゲンシュタインを読むことだと思う。著者と同時に今回も存分に格闘をした2022/09/25

踊る猫

28
ほとんど(いや、まったく?)誰の助けも借りず、誰の威を借りることもなく野矢茂樹はウィトゲンシュタインの畢生の大作『哲学探究』と戦う。ここで行われている議論は野矢のこれまでの著書の議論とシンクロするところがあり、そこから大きく前進したわけではないにしろベースに立ち返って徒手空拳で考え続ける姿勢に感心する。これこそウィトゲンシュタインが『哲学探究』という著書を通して教えたかったことかもしれない、とさえ思った。故に、この本を読むことは自分なりの哲学の「型」を見つけ、それを鍛え上げ「実践」することではないかと思う2022/02/27

田氏

26
2020年に新訳が出て、世間の片隅でホットトピックな『哲学探究』。読み始めに「読める…読めるぞ!」と興奮し、暫時のち「やっぱ読めねえ」となったのは良い思い出である。そんなのと次元は違えど、野矢御大は御大で「やっぱ読めねえ」だったとのことで、ウィトゲンの恐ろシュタインぶりに震えるシビれる憧れる。というわけで、体感としては鬼界訳の原著を読んだときには3シュタイン程度だったシビれが、本書でもう15シュタインくらいにはルートヴィったように思う。この文の意味がわかる気がしたなら、それが『言語ゲーム』の合図だ。多分。2022/05/14

buuupuuu

16
ウィトゲンシュタインは「治療」ということを言う。それは、雑多な実践の深奥に全体を秩序付けるような固定点を探し求める哲学の傾向を、病と見ているからだ。こうして、そのような哲学的傾向が訴えようとする指示対象、理解、規則、そして心という領域などをそのような傾向から解放していこうとする。ウィトゲンシュタインは我々の実践を対象化せずにそのままにしておく。哲学は問題が生じたときに始まる。これは、我々自身に対してメタな視点に立つことができないということのようでもあり、自然を信頼するヒュームのようでもあると思う。2022/05/10

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