内容説明
「百万本のバラ」を作った人たちの運命、どこかでこの歌をうたっているはずの人の今――果てしない世界の放浪者のように、とぼとぼと生き続けているこの歌を改めて見つめてみると、そこには大きな歴史に翻弄されようとも、なんとか生きてきた一人一人の物語があった。ロシアと周辺国、そして加藤登紀子が生まれた満州(中国東北部)のハルビン。そこに生きる人、そこを追われた人たちとの出会いを、自身の歌と人生とともにつづる。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
てつろう
7
加藤さんは満州育ちで大変な人生を歩んできた人だった。この百万本のバラもロシアで流行ったようたか、ロシアと言っている国はどこまでか、この当時はウクライナもロシア。ロシアは共和国なのに独裁者の国になっている、早く平和になって欲しい。2023/05/06
るるぴん
3
登紀子さんが歌う「百万本のバラ」の生まれ故郷との縁、母親から伝え聞いたハルピンでの暮らし、現地の人々との交流などが印象的。第二次世界大戦時、国同士が戦争をしていても、市政に暮らす人たちはお互いに交流し、友情を育み小さな幸せを守りながら生きていた。当時交流していた人たちは「ソ連の人」でウクライナの人もいればロシア、コサック出身の人もいた。その地域が今争っていることに登紀子さんは胸を痛めている。今でも周辺諸国で歌手活動をしている。歌、歌を愛する気持ちに国境はないのだ。2023/11/05
Enju35
2
第5章まで読んだがよかった。続きをまた読む。2023/03/29
Masaki Maruyama
1
京都・祇園のレストラン「キエフ」で往年のパソコン通信フォーラムのオフ会が何度かあり、ここは加藤登紀子さんのお父さんのお店だと聞いた。「お登紀さんは京都の出だったのか」と思ったのは大誤解。6月16日付読売新聞朝刊で始まった「時代の証言者」にある通り、ハルビン生まれとのこと。30回ほどの連載では、本書に記された波瀾万丈が語られるでしょう。5月21日に千葉県君津市で開いたコンサートの前、共同インタビューで様々な思いを伺い、自費で公演を聴きに行った。諸事情で結局、仕事になってしまい、楽しみが半減したのが残念。2023/05/16
taras_saco
0
スンガリーが加藤登紀子氏所有って知らなかったよ。激動の時代を味わえた。2025/07/07